1964年5月8日付琉球新報に「おかあさんありがとう」と題した母の日図画作文コンクールの記事が掲載されていました。琉球新報とデパート・リウボウとの共同企画で全琉の小学生からおかあさんへの感謝の気持ちを表す図画と作文を募り、特賞、一等などの入選者はその作品が掲載されていました。
さすが全琉から募集した中から選ばれただけあって、すばらしい作品が掲載されていましたが、その中でも作文の部の一等賞がじわじわくる出来栄えでしたので、全文を書き写しました。読者のみなさん、無邪気な子供が母親を公開処刑する作文(笑)を是非ご参照ください。
デブのおかあちゃん
神原小学校五の八 我那覇礼子
わたしの母は、デブちゃんだ。
体重が六十五㌔もある。背はあまり高くない。母は顔が小さくて体が大きいのでへんなかっこうだ。
時々、わたしとにいちゃんは、母に「デブちんのおばさん」といったり「かわいいブウちゃん」といったりする。そんな時母は「一番気にかかることをいわれた」という。そういう母の顔は、いかにもがっかりしたような顔だ。しかしおこっているようではない。
夜ねる時、母は、とよのぼりのまねをする。両手をすりあわすのだ。それから吉村のとびげりのまねもする。だが、ふとっているのであまりとべない。そのかっこうがおかしくて、わたしたちはわらいころげる。
またある時は、母が「礼子、きてごらん」というので、いってみると、きのう作ったばかりの新しい服をきている。えりなしのはんそでで下の方はふくらんでいる。母はおどけたかっこうで、しりふりダンスをして見せた。わたしはおかしくてふきだしてしまった。母ってまったくのんきものだ。
二学期のPTAがあすだという日、
「おかあちゃん、あしたはPTAよ」というと
「そう、じゃあ、おかあちゃん行くわね」というので
「でもおかあちゃん、あまり早くこなくていいよ」といったら
「なぜなの」という
「だっておかあちゃんふとっているでしょう。はずかしいもん」
「まあ、はずかしいの。あ、は、は」とわらってしまった。
いよいよ、PTAの日、わたしは学校にいくと中も心配だった。お友達が、母を見てわらうだろうなあ。わたしは、授業中もそのことが気がかりだった。給食が始まって、ふいによこを見ると、わたしの母がきているではないか。わたしは、かおが赤くなった。
となりの人が「れいちゃん。おかあさんきているよ」といったのでよけい体中があつくなるみたいだった。わたしは、心の中で「あんなこといったのに、母はきてくれたんだなあ」
PTAもおわって、家へ帰ってから、母に学校でのことをはなすと母は「じゃあ、もっとやせなければならないね」といっていた。
それから、二、三日あと、母がちょっとやせているように見えたので、わたしはびっくりした。わたしは母にわるいことをいったみたいで心配になった。わたしは、いくらはずかしくても、母はふとっているほうがよいと思った。
評 – よどみなく書かれた達者な文で、明るい生活の中で母を思う心がよく出ていてユーモアがある。お母さんをほめてはいないが母と子の愛情がでている。
引用:1964年5月8日付琉球新報5面
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