怪談奇聞(一)娼妓の亡霊に頼まれる

今回から不定期ではありますが、夏の風物詩である怪談を複数紹介します。大正元年8月の琉球新報を参照したところ、「怪談奇聞」と題して読者から応募した怪談が30話ほど掲載されていました。非常に興味深い内容だったので、その中の一部をコピーして原文をチェックしたうえでブログ主で句読点を追加した分を公開します。読者の皆様、是非ご参照ください。

怪談奇聞(一)▴娼妓の亡霊に賴まる

明治二十八年私しが泊の学校の教員をしていた頃である。渡地遊廓石頂(いしんちゅ)の附近荒神前(こうじんまえ)と云ふ貸座敷に私は知人の某氏を面会に行った。未だ宵の口で人通りも多い、今しも石頂の下の何んとか云ふ貸座敷の門前を通ると年の頃二十三四の脊(=背)のスラリトした別嬪が思案顔で立って居る。丁度夏の真盛りで石頂の辺り数多の納涼客が集まり附近は余程賑かである、(そのため)此の二十三四の別嬪が正しく幽霊であったとは夢想だに浮ばない。未だにその形は忘れぬが髪はピカピカ光り銀の簪を差し色は飽くまで白く着物は芭蕉衣の引下の模様であった。私は別に怪しみもせず別嬪の傍を通ると彼れは馴れなれしく言葉をかける、

「自分は此の屋の娼妓ツルと云ふもので、妾(わた)しの紺地の着物が此の屋にあるがこれは妾しの妹カメに渡してと貴方からどうか抱母(あんまー)に告げて下さい。兼々抱母には云ってあるが未だに渡さない。一つ貴方より充分に話して下さい」

と頼むこと切である。見も知らぬ男に無遠慮に頼む変な奴だとは思ったが、私は正直に彼の依頼をその内の抱母に告げた。するとその内の家族共は一斉にドッと笑ひ似ては居ませぬとか欺まされませぬとか妙なことを云ふ。人を馬鹿にして居ると私しは立腹してその内を出たら門には依然として別嬪が立って居る。私しは此奴に一本やられたのだと

「オイよくも私しを欺ましたな」

と言って強いて呼び止めるも聞かず目的の荒神前に行った。生憎友人は来て居なかったので仲前(なかまえ)より其儘引返し最前の門前に来ると矢張り別嬪は居る。そして大真面目に先刻の依頼をするからどうも怪しなこととは思ひながら今度は私しも大真面目になりて抱母に面会した。

「決して嘘ぢやないどんな形の斯う云ふ装飾した女だ、嘘と思ふなら門まで誰か出て見よ」

と云ったら

抱母を初め家族のもの共一様の青くなり抱母が坐って居る周囲に集りて慄ひ出した。

それまで私しは何のことやら分らない、抱母を初め家族のもの等が

「真実のことですか」

と頻り聞くから

「嘘を云ふものか嘘と思ふなら連れて来る」

と立うとすると家族共前後左右より私しを捕へ無理矢理に押へて坐らす。イヤハヤ何のことやら愈々益々分らなくなった、と一体何で騒ぐかと聞くと抱母が云ふには

ツルと云ふ女は今より三十日前肺病で死んだもの

と云ふ。紺地の着物は実際抱母が格護してあるそうで私しの前で早速亡霊の注文通り実妹なるカメに渡したのである。彼れ此れして私しはその屋を出たら亡霊君矢張り門前に立って居る。先刻の面持ちとは打って変はり

「誠に有難う御座りました」

と礼を述ぶる。転んでも男一匹の吾輩、亡霊位に敗けるものかと好奇心に彼れの手を握ったら

ニヤリと笑ふ物凄さに而も握った手は氷の様に冷たい。

私しは思切って

「実際お前は死んだ人か」

と聞くと顏を伏せたまま答へない、

「之で失礼します」

と私の手を振り放って何処かに消えて仕舞った。私しは後ろを引かれる様な心持ちで逃げる様に帰った。私は右の事実を一生の不思議と思って居る(某氏談)(大正元年8月4日付琉球新報)

原文 怪談奇聞(一)▴娼妓の亡靈に賴まる

明治二十八年私しが泊の學校の敎員をしてゐた頃である、渡地遊廓石頂の附近荒神前と云ふ貸座敷に私は知人の某氏を面會に行つた、未だ宵の口で人廻りも多い今しも石頂の下の何んとか云ふ貸座敷の門前を通ると年の頃二十三四の脊のスラリトした別嬪か思案顏で立つて居る丁度夏の眞盛りで石頂の邊り數多の納涼客が集まり附近は餘程賑やかである此の二十三四の別嬪が正しく幽靈であつたとは夢想だに浮ばない、未だに其の形は忘れぬが髪はピカ〱光り銀の簪を差し色は飽くまで白く着物は芭蕉衣の引下の模樣であつた、私は別に怪しみもせず別嬪の傍を通ると彼れは馴れ〱しく言葉をかける、自分は此の屋の娼妓ツルと云ふもので妾しの紺地の着物が此の屋にあるがこれは妾し〔の〕妹カメに渡してと貴方からどうか抱母に告げてください兼々抱母には云つてあるが未だに渡さない、一つ貴方より充分に話して下さいと賴むこと切である見も知らぬ男に無遠慮に賴む變な奴だとは思つたが私しは正直に彼の依賴を其の内の抱母に告げた、すると其の内の家旅共は一濟にドツと笑ひ似ては居ませぬとか欺まされませぬとか妙なことを云ふ、人を馬鹿にして居ると私しは立腹して其の内を出たら門には依然として別嬪は立つて居る、私しは此奴に一本やられたのだとオイよくも私しを欺ましたなと言ふて强いて呼び止めるも聞かず目的の荒神前に行つた、生憎友人は來て居なかつたので仲前より其儘引返し最前の門前に來ると矢張り別嬪は居る、そして真面目に先刻の依賴をするからどうも怪しなことゝは思ひながら今度は私しも大真面目になりて抱母に面會した決して噓ぢやないどんな形の斯う云ふ装飾した女だ、噓と思ふなら門まで誰か出て見よと云つたら抱母を初め家族のもの共一時に靑くなり抱母が坐つて居る周圍〔に〕集りて憟ひ出した、それまで私しも何のことやら分らない抱母を初め家族のもの等が眞實のことですかと頻りに聞くから噓を云ふものか噓と思ふなら連れて來ると立うとすると家族共前後左右より私しを捕へ無理矢理に押へて坐〔ら〕すイヤハヤ何のことやら愈々益々分らなくなつた、と一体何で騷くかと聞くと抱母が云ふにはツルと云ふ女は今より三十日前肺病で死んだものと云ふ紺地の着物は實際抱母が格護してあるそうで私しの前で早速亡靈の注文通り實妹なるカメに渡したのである、彼れ此れして私しは其の屋を出たら亡靈君矢張り門前に立つて居る、先刻の面持とは打つて變はり誠に有難う御座りましたと禮を述ぶる、轉んでも男一匹の我輩、亡靈位に敗けるものかと好奇心に彼れの手を握つたらニヤリと笑ふ物凄さ而も握つた手は氷の樣に冷たい、私は思切つて實際お前は死んだ人かと聞くと顏を俯せたまゝ答へない、之で失禮しますと私の手を振り放〔し〕て何處かに消えて仕舞つた、私しは後ろを引かれる樣な心持で逃げる樣に歸つた、私は右の事實を一生の不思議と思つて居る(某氏談)(大正元年8月4日付琉球新報)