ちょっと意地悪な話

アメリカニューヨークの国連本部で22日、世界の先住民族や各国代表による「先住民族世界会議」の分科会が開かれ、我が沖縄県から糸数慶子参議院議員が参加してスピーチを行ったようです(詳細は下記のURL参照)。

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/44379

今回は演説内容については取り上げず、国連の分科会に出席した糸数先生の容姿に注目しました。紅型の民族衣装に身を包んだ先生のご満悦な写真が沖縄タイムスの電子版に掲載されていますが、ただしこの格好は先住民の容姿としては1つだけ足りないところがあります。それは琉球王国時代のほとんどすべての女性が施した両手の甲の入れ墨(ハジチ)*が見当たらないのです。 

*アイキャッチ画像の入れ墨(ハジチ)は沖縄県今帰仁村文化センターブログ内に掲載されたものです。

琉球王国(あるいは琉球藩)の時代の女性に3つの共通点があります。それは

1.文字が読めなかったこと。

2.織機を扱うことができたこと。

3.両手の甲に入れ墨を施したこと

になります。この3項目は貴賤問わずの共通点で、女性は6歳のころから針突きを初め、24歳ごろに両手の甲に丸型や角形の入れ墨を施すのを通例としました。今回はハジチの詳細な説明は省きますが、この慣習は数百年の伝統があり20世紀初頭まで続いていました。

さてと、今回の国連の分科会に出席した糸数先生の右手の甲を見ると、入れ墨(ハジチ)が見当たりません。もちろん今更入れ墨をするわけにはいきませんが、「先住民族世界会議」に出席するならばせめてタトゥーシールでも施して先住民アピールをしてほしかったです。

琉球女性の入れ墨を口極めて批判して、そして禁止したのは明治時代に来琉した日本人および明治政府の施策です。1899年(明治32)に入墨禁止令が施行され、風俗改良運動の成果もあってハジチは沖縄社会から徐々に姿を消すことになります。入れ墨の際の針突きは激痛を伴うため、ハジチの慣習がなくなったことは現代の沖縄の女性にとって大変な幸運なのです。

さてと糸数先生、国連の分科会では基地問題を取り上げて琉球民族の先住民としての権利を高らかにアピールされたようですが、現代の沖縄女性の両手の甲が真っ白なのは当時の日本人たちの功績なのです。ヤマトゥーに対して言いたいことは山ほどあるでしょうが、感謝すべきところは感謝してから発言することを切に願います。あなたの手の甲も真っ白なのだから。