琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その10

琉球士族

前回までの記事で、那覇の女性商人たちからついに近代的経営者が誕生しなかった件を説明しました。ここからは琉球王国(あるいは琉球藩)の時代において女性が文字を読めず、学問の世界から遠ざけられたもう一つの弊害について記述します。それは廃藩置県までの琉球の女性たちが伝統主義の思考法から抜け出すことができなかった点です。

まず初めに伝統主義について説明します。伝統主義は「これまで続いてきた慣習は、その事実だけで絶対的に正しく、今後もこれまでの慣習通りに行動する」という思考法です。旧慣墨守と言い換えたほうが分かりやすいかもしれません。

伝統主義的思考法の行動パターンは2つあって、

1.よい伝統と悪い伝統を区別しない。

2.慣習を変えること(つまりアップデート)を絶対に拒否する

になります。琉球王国の時代は行政の最小単位である村の共同体化が著しく進んだのが特徴ですが、村内の慣習法は外部の人間からみると著しく不合理な点が多々あります。廃藩置県後に日本の知識人が来琉し、あるいは新教育を受けた沖縄県人たちが、従来の村内慣習法を口極めて非難して慣習を改めようとしましたが、ほとんどが徒労に終わります。

なぜ徒労に終わったかと言うと、外部の人間からは著しく不合理に見える慣習も、村内の住民は「これまで行ってきた慣習は、その事実だけで絶対に正しい」と考えているからです。そのため幾ら外部の人間が批判しても一朝一夕に改善できるわけがありません。 馬の耳に念仏ということわざがピッタリ当てはまります。

ではどうやって伝統主義的な思考法を打破するのでしょうか?その方法は2つあって、

1.教育を普及させて時間をかけてゆっくりと慣習を改変する。

2.カリスマ的指導者の下で、一気に慣習を改変する。 

になります。琉球王国時代は上記の2条件を全く満たしていないために、住民たち(特に無学の女性)は伝統主義の思考法から逃れることができなかったのです。(続く)

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