琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その6

前回までに琉球・沖縄の歴史において文字が読めたかもしれない女性の階層が2つあることを記述しました。神女の階級と尾類(ジュリ)たち直筆の書が発見されていないため文字の読み書きができた確証はありません。ただしこの2つの階層には共通点があります。それは独自の文化を継承してきたことです。

それに対して士族の女性たちは独自の文化を形成していません。例外は18世紀中ごろの那覇の士族の女性たちで彼女らは那覇の小売業の中心的な存在になります*。

*昭和の終わりごろまで那覇の平和通り(国際通り)で女性たちの露天商を多く見ることができました。現在でも少数ですが平和通りで小商いをするオバァたちがいます。これは300年近く続いた那覇の女性たちの慣習です。

一部例外を除いて士族の女性は、「深窓の下で起臥して、外出することが稀で、その上教育もなく、手芸も無かった」ために琉球社会においてまったく影響力がありませんでした琉球藩時代に来琉した日本人たちの多くが「上級士族の子女を見たことがない*」と証言しています。

*士族の女は、親戚の外、妄りに人に面せず、途上に逢えば傘を以て面を掩ふて過う、鹿児島官吏の在勤する者、其の宅に寓するに三年、家中の婦女を見ざるに至る(沖縄士略、伊地知貞馨著より)

*女子は幼児より男女の別を正しくして假初(かりそめ)にも戯れたるとを見聞せしむべからず、古への礼に男女は席を同じくせず、衣裳をも同所に置かず、同じ所にて浴せず、物を受取渡す事も手より手へ直にせず、夜行時は必ず燭をともして行くべし。他人はいふに及ばす、夫婦兄弟にても別を正しくすべしと也(女大学第三章)、とあるが、これは沖縄でも階級制度の厳格であった時代には、士族以上の家庭で実行された者である。今でも此の遺習が幾分か保存されて居て、沖縄の婦人は一體に内気で世間知らず舊式(旧式)の女の型が多いのである。上流の家庭では内(内原)と外(前座)と厳重に区別せられて、女は内原のほうにばかり引籠って顔も合わせなかったのである。(沖縄女性史、沖縄の婦人性より、眞境名安興著)

これまで述べたとおり廃藩置県までの琉球社会において女性は文字を知らず、学問の世界から完全に遠ざけられていました。その結果後世にも影響が出るほどの社会的弊害が発生したのですが、それは以下の2点です。

1.18世紀以降、那覇において小売業は発展したが、女性の経営者がついに誕生しなかったこと。

2.行動様式が旧態依然で、なかなか伝統的な発想から脱却できなかったこと。(続く)

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