近年インターネットスラングから一般的に認知されつつある用語に上級国民があります。平成28年(2015年)7月に端を発した東京オリンピックのエンブレム騒動がきっかけですが、平成31年(2019年)4月19日に池袋で発生した悲惨な交通事故に対するマスコミ報道がこのネットスラングを結果的に拡散させてしまうことになりました。
現在の日本は階級社会ではないので上級国民というスラングには違和感を感じざるを得ませんが、ブログ主が案ずるにこの言葉には「一般社会とは違った特別なルールが適用される階層が存在する」という意味が含まれています。そこで試しに階級社会と現代社会を比較しながら上級国民という奇妙な用語について考察したいと思います。はじめにブログ主なりに階級社会について言及しますので読者のみなさん是非ご参照ください。
階級社会の特徴
廃藩置県前の琉球国は幾層の社会階層が存在していたいわゆる階級社会と看做しても間違いではありません。そして当時の社会は現在と違った特徴があります。それは、
一 多重規範社会であったこと
簡単に説明すると、王族には王族のルールがあり、士族には士族の、そして農民には農民のルールがあって、社会全体を貫く統一した規範が存在しなかったことを意味します。一例をあげると琉球国の時代は、王の権力を以てしても各間切の秩序(間切内法)に干渉することはできませんでした。つまり階層間で異なるルールが存在し、しかも相互不可侵の関係を有しているのが多重規範社会の特徴で、この点が社会に統一ルールが存在する現代社会との大きな違いになります。
一 階層間の人的交流がほとんどないこと
琉球国に限らず、多重規範社会のもうひとつの特徴は階層を超えた人的交流が絶無に近いことです。だから階層間の人的移動もなく、具体的に ”成り上がり” が誕生しない硬直した社会体制になります。ちなみに上の階層から下の階層に移動するケースはありますが、下から上に移動するケースは例外中の大例外扱いとなり、ほぼ間違いなく悲惨な最期を遂げます。琉球・沖縄の歴史を振り返ると牧志・恩河事件の結末が一番わかりやすいかもしれません。
琉球・沖縄の歴史を参照してブログ主なりに階級社会について言及しましたが、階級社会は最上位の階層(たとえば王族)が社会の権威、権力そして富を独占する傾向があります。そして上位階層が社会のすべてを独占する体制は一見安定しているように見えて実は非常に不安定であり、社会に何らかの亀裂が入った場合は体制が一気にひっくりかえる危険性があります。尚家の琉球国の滅亡が典型的な例で、現在の北朝鮮も極めてあぶない状態と言わざるを得ません。そしてこの状態が階級社会の最大欠点になります。
現代の日本社会は天皇陛下の前の平等が保証され、前近代的な階級社会ではありません。社会全体に統一ルールが適用され、極めて安定した社会秩序を築きあげることに成功していますが、にもかかわらず上級国民なるスラングが存在しているのは一見奇妙にも思えます。その理由はかつての階級的なものは破壊されているのですが、同一階層内に「格差」が存在し、その上位ランクには特別のルールが適用されるという社会慣習が未だ根強いからだとブログ主は考えています。
斜めの階層が存在する日本社会
斜めの階層とは小室直樹博士が好んで使用した語句ですが、その意味は前述したとおり同一階層内に明らかな格差がある状態を指します。一番わかりやすい例はおそらく衆議院議員さんで、選挙で選ばれた以上は議員間格差なんて存在する筈はありませんが、実際には小選挙区選出≧比例区選出≧惜敗率で当選した議員の順に格差が存在します。小選挙区選出の議員さんには特別のルールが適用されるか否かは寡聞にして存じませんが、国会および政党における彼らの権威が一番高いことは間違いありません。
斜めの階層はかつての階級社会とちがって、人的交流はありますし、階層間の移動もあります。だがしかし階層内で別々のルールが適用されるという点は共通していて、それが結果的に同一階層内における連帯の喪失につながります。しかも斜めの階層は平等社会が生んだ一種の鬼子なので、社会的には非公認だから実に質が悪いと言えます。現実に存在しているものを存在しないとみなすため、なかなか問題の本質に気が付かない、あるいは気が付いても見て見ぬふりをせざるを得ない。上級国民なるスラングが誕生した背景はこんなところかなとブログ主は推測しています。
我が沖縄にも上級県民が存在する
復帰後の沖縄はかつての琉球王国やアメリカ世の時代と違い、階級社会から平等社会への転換を遂げました。だから王族対農民、あるいは資本家vs労働者といった対立構造は見当たらず、誠にけっこうな世の中になったと実感します。その反面我が沖縄社会にも斜めの階層が誕生して、社会に悪影響を及ぼしている現状は無視することができません。
いわば上級国民ならぬ “上級県民” が存在し、そして彼らの存在が結果として沖縄社会の連帯を妨げていて、しかもそのことに気が付いていない状況になっているのです。かれら上級県民は決して公言はしませんが、「沖縄は差別されつづけてきた。だから特別扱いされるべきである」との信念を持ち、そして社会に大きな影響力を持つがゆえに「自分たちには特別なルールが適用されるべきだ」との立場で行動するから端から見ると実に質が悪い。意地悪く言えば歪んだ選民意識の持ち主が一定数存在しているのです。
沖縄における上級県民は被差別感からくる選民意識が根底にあり、権力や富とは直接関係がないのが大きな特徴です。ただし社会的名誉には人一倍敏感なところがあり、名声を傷つけられることを何よりも嫌います。だから一般県民からは「さわらぬ上級県民にたたりなし」で敬して遠ざけられているのが実情ですが、果たして社会規範の一元化が猛スピードで進行すると予想される令和の時代に、かれら上級県民が沖縄社会で生き残ることができるのか。ブログ主は注意深く見守っていきたいと思う今日この頃です。(終わり)