前回まで琉球王国時代(あるいは琉球藩の時代)には女性は文字の読み書きができなかった件を記述しました。正確に言うと「史実で文字が読める女性を確認できない」のですが、もしかすると文字が読めたかもしれない女性の階層が2つあります。
まず考えられるのが地方の神女(ノロ)たちです。彼女らは琉球王府から正式に辞令を受けて初めて神女としての任務を全うできたのですが、その辞令書は和文で記載されていました。琉球王府時代に交付された辞令書は高良倉吉先生が精力的に調査していますので、その著書「琉球王国」より当時の辞令書を抜粋します。
具志川ノロ職叙任辞令書(1607)
しよ(り)の(御ミ事)
印 ミやぎぜんまぎりの
ぐしかわのろ又ちとも二
五十ぬきはたけ四おほそ
ぐしかわはる又によはばる又はまかわはる又はきはるとも二
もとののろのくわ
一人まかとうに
印 たまわり申候
しよりよりまかとう方へまいる
万暦三十五年七月十五日
*今帰仁間切りの具志川ノロ職に、先代のノロの娘であるマカトウを任命するとともに、そのノロの職に付帯する収入源として50ヌキの面積の畑を与えるという意味。50ヌキの面積はどの程度か不明も収入源として畑が王府より提供されていたことがわかります。
この辞令書は1607年(慶長11)にしより(琉球国王)から具志川ノロ職の後継者(マカトウ)に交付されたもので、年号は中華式ですが、文章はすべて和文で記載されています。年号が中華式なのは当時の国王尚寧が冊封を受けたため、王府の辞令書は中華の年号を利用しないといけない決まりだったからです。
琉球王国内のノロ(神女)は尚真王の時代(1477~1527)に再編されて王府より正式な辞令を交付されて初めて神女の職務を全うするのが慣例でした。この慣例はなんと廃藩置県後も存続されて奈良原繁沖縄県知事が発行した辞令書も確認されています。そうなるとノロ(神女)たちは和文が読めたのではないかと推定できるのですが、現在そのような証拠がありません。理由はノロたち直筆の文書がまったく見つからないからです。
王府から正式に交付された辞令書はノロ本人が読めなくとも間切内のおえか人(役人)が代わりに朗読すれば済むことです。辞令書を大切に保管さえすれば神職と収入源は保障されているため、ノロたちが文字を読めなくとも職務は全うできたと考えたほうがいいかもしれません(続き)。