沖縄のマスメディアが過去に実施した啓蒙活動の一例

以前、当ブログにて”沖縄のマスコミは本当に偏向しているのか”の記事を配信し、その中でマスコミの体質が今も昔も”啓蒙”であることを指摘しました。今回は過去の啓蒙活動の実例を紹介します。

昭和15年(1940年)8月25日付沖縄朝日新聞社の特集号『第二回皇軍慰問号』の中に戦地の兵隊さんに向けての小学生の激励文が掲載されていました。啓蒙活動の一環として未成年を使う辺りは、いまも昔も変わりません。読者の皆さん是非ご参照ください。

戰地の勇士へ – 甲辰尋常小學校六年 古堅宗徹

兵隊さん、お元氣ですか。僕等銃後の國民も皆元氣で、兵隊さんに御心配かけない様に銃後を護つてゐますから、御安心して戰つて早く蔣介石の惡い政府をたゝきつぶして下さい。そして汪さんの立てていらつしやるよい政府と手を取つて東洋平和の土臺を築いて下さい。その後は僕等第一國民が受次いで新支那滿洲と手を取つて東洋平和を築きます。

今は歐洲でも獨逸、伊太利が盛に各國を相手に戰爭してゐます東洋と歐洲と陸續きですから戰亂が來ないとも限りません。僕等はきつと戰火を東洋に入れないやうにしやうと覺悟してゐます。

兵隊さんお喜び下さい。僕等が一錢二錢のわづかなお金もむだにしないで貯金してゐた報國貯金が全校で二千圓近くなつてゐます。梯梧の花さく五月も矢のやうに流れ颱風季節の八月になりました。この間颱風が全島をおそひましたが何んにも心配しないで下さい。

僕の家では去年まですててゐた包さう紙をすてない様にしてゐます。それはお父さんが「今は我が國は支那と戰つてゐるんだからお前たちも一つよいことをしてごらん」とおつしやつたからです。

兵隊さんくれ〲もお体を大切にして下さい。僕等は遠い〱沖繩で武運長久を祈つてゐますでは左様なら。

「御安心して戰つて早く蔣介石の惡い政府をたゝきつぶして下さい。そして汪さんの立てていらつしやるよい政府と手を取つて東洋平和の土臺を築いて下さい。」の件は古堅君個人の判断でしょうか、と野暮なツッコミを入れたい気分になります。

戰地の兵隊へ – 垣花小學校 牧志洋子

兵隊さん、お暑い所で毎日毎日勇ましく戰つて下さつて有難う御座います。私は兵隊さんの御疲れを少しでもなほして上げたいと思つて、今御手紙を書いてゐる所です。ほんとにどれもこれも、みんな兵隊さんの御かげだと今更のようにつくゞと思ひます。

今うちの學校では、毎週水曜日には戰の有様を話して下さいます。今朝、龜谷先生が大和魂とドイツ魂のお話を聞かせて下さいました。戰に負けた可愛さうな國の事を考へると、日本はどうしても勝ち戰をしなければならないと思ひました、先生は一番おしまいに「兵隊さんばかり强くてもだめだ。銃後の國民も皆が心を一つにして、一生懸命にやらなければいけません。」とおつしやいました。

近頃私達も兵隊さんに負けないやうにと、サイレンにあはせて早く集る練習をしあり、又三時間が終ると三十分で學校全体が一しよに御掃除をやります。それで近頃は學校が大へんきれになりました。又四時間目の終りにはサイレンの合圖と共に、三年以上の生徒が運動場一ぱいに整列して、たいこやオルガンにあはせて、元氣よく大行進を致します。其の時はほんとに兵隊さんの事が頭に浮びます。もう二三日すれば、私達はたのしい夏休みになりますから、その時にはたくさん御便を上げませうね。戰傷なさつた兵隊さんの御見舞にも行きたいと思ひますが、遠い沖繩の事ですから行つたやうな氣持ちで、兵隊さんの武運長久を毎日お祈り致しませうもう十時になりました。夜の空には星がきらきら輝いて、お月様がにつこり雲の間からお顏をだしていらつしやいます。

兵隊さんおやすみなさいませ。

「今うちの學校では、毎週水曜日には戰の有様を話して下さいます。」の件は、「いまうちの学校では、毎日米軍基地の有様を話しています。」に直すと案外通じるかもしれません。復帰後の小学校では教師が授業中に”雑談”として米軍基地の弊害について語るケースがありました。

皇軍の皆様へ – 沖縄縣立第一高等女學校三年乙組 千原己代子

三度の春秋を送り迎へて、聖戰滿三周年の記念日も早や過ぎました。世界の脚光を浴びて立つ日本を歐洲各國が蔣の黑幕になつて働いて居るのがはつきりと解りました。それで私達は「長期戰だ」といふことを深く念頭に置いて居ります。學生の私達を始め國民の緊張振りも益々强調されて來て、少しの無駄もせぬと言ふ國策に從つて足並を揃へて居ります。日本は物資が非常に欠乏して居ると重慶では宣傳して居るさうですけれども私達はさうは思ひません。尤も物資は元の様に容易に手に入らない事もありますけれど長期戰に對する一つの目重、心構へでこれ位の不自由等は交戰國として當然だと思ひます。今から之位の統制がなければ返つて後はどうなるかと怯れなくてはならないと思ひます。米がないとて餓死した例もありません。炭が無くて凍死した例も聞きません。年中移入超過で惱んで居た沖繩も皆様の御奮闘の御足跡、海南島○○島其の他への縣民の進出が目醒ましく縣民は非常な恩惠を蒙つて居ります。季節の暴風もさほど被害は無く、砂糖も芋も、米も上出來でございます。

フランスの敗因を思ひます時、富める國、流行の先端を切る奢侈を誇る國としての自尊心が國民の緊張を欠いたのではないでせうか。之を見て私達は一層考へなくてはならないと思ひました。

ドイツ軍は强いと申しますが、歐洲の舗裝された道路の進軍ならその神速も敢へて不思議とは思へません。我が皇軍の人跡未踏の山野を酷熱嚴寒を侵しての進軍に比べて決して驚くには當らないと思ひます。敗戰の歐洲各國の様に他國の辱めを受けず平時と變りなく勉强出來ますのは只管皆様の御蔭に據るものと感謝して居ります。何卒皆様、小さいながらも强い私達の協力を信じて下さひませ。十年廿年續くともびくとも致しません。皆様の逞しい御腕に私達は遥かに信賴を捧げて居ります。

さすが第一高等女学校の生徒らしく格調高い文章に纏められていて、当時の教育のレベルの高さを伺うことができます。そしてこの年齢になると、前述の小学生とは違って情報を自分なりに判断していることが分ります。「フランスの敗因を思ひます時、富める國、流行の先端を切る奢侈を誇る國としての自尊心が國民の緊張を欠いたのではないでせうか。之を見て私達は一層考へなくてはならないと思ひました。」の件あたりは、彼女なりの分析が色濃く出て居て非常に興味深いです。

いかがでしょうか。支那事変勃発から3年、戦争が長期化したことに対する国民の士気高揚の国策に、当時のマスメディアがどのように協力したかがお分かりかと思います。これも一種の”啓蒙活動”ですが、戦後のマスコミは「誤った方向に人民を誘導した」との認識で一致します。それが「歴史の教訓」だと勘違いしているのです。

「今度は人民を正しい方向に導くんだ」との上から目線の態度は保持したまま、「過去の過ち」を唱える既存マスコミの主張など適当に流しておけばいいとブログ主は確信しています。そして当時の新聞を参照すると、今も昔もマスコミの体質は変わらないなと痛感しつつ今回の記事を終えます。


【おまけ】平成16年(2004年)9月12日の「沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落に抗議する市民集会」のPDFファイルです。この集会は当時小学生だった島袋洋奨くん(現ソフトバンクホークス)が代表あいさつしたことでも有名です。この手の県民大会で「学生代表」の挨拶は慣行になっていますが、上記の『第二回皇軍慰問号』の学生のお便りとやっていることは同じだなと実感します。

沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落に抗議する市民集会