琉球開闢に関する史料をまとめてみました。
琉球国中山世鑑 巻一 琉球開闢之事
曩昔天城ニ阿摩美久ト云神御坐シケリ天帝是ヲ召シ宣ケルハ此下ニ神ノ可住靈處有リ去レトモ未タ島ト不成事コソヤシケレ爾降リテ島を可作トソ下知シ給ケル阿摩美久畏レ降リテ見ルニ靈地トハ見へケレトモ東海ノ浪ハ西海ニ打越シ西海ノ浪ハ東海ニ打越シテ未タ嶋トハ不成ケリ去程ニ阿摩美久天ヘ上リ土石草木ヲ給ハレハ嶋ヲ作リテ奉ラントソ奏シケル天帝睿感有テ土石草木ヲ給リテケレハ阿摩美久土石草木ヲ持下リ嶋ノ数ヲハ作リテケリ先ス一番ニ國頭ニ邊土ノ安湏森次ニ今鬼神ノカナヒヤフ次ニ知念森齊塲薮薩ノ浦原次ニ玉城雨辻次ニ久高コバウ森次に首里森眞玉森次ニ嶋ヤ國ヤノ獄ヤ森々ヲハ作リテケリ数萬歳ヲ経ヌレトモ人モ無レハ神ノ威モ如何テカ可顕サレハ阿摩美久天ヘ上リ人種子ヲソ乞給ケル天帝宣ケルハ爾カ知タル如ク天中ニ神多シト云ヘトモ可下神無シサレハトテ黙止スヘキニ非ストテ天帝ノ御子男女ヲソ下給ニ人陰陽和合ハ無レトモ居處並カ故ニ往来ノ風ヲ縁シテ女神胎給遂ニ三男二女ヲソ生給長男ハ國ノ主ノ始也是ヲ天孫氏ト號ス二男ハ諸侯ノ始三男ハ百姓ノ始一女ハ君々ノ始二女ハ祝々ノ始也(国立国会図書館デジタルコレクション – 琉球国中山世鑑より抜粋)
球陽巻一 国初 琉球ノ分野及ビ開闢
天地未だ分れざるの初混々沌々として陰陽清濁の弁有ることなし既にして大極両儀を生じ両儀四象を生ず四象変化して庶類繁顆す是れに由りて天地始めて天地為り人物初めて人物なり時に我が琉球は福州の正東偏南三里許に闢在す而して分野は楊州呉越と同じく女牛星紀の次に属し俱に丑宮に在り〔福建は北極の地を出づること二十六度三分偏度北極の中線を去ること偏東四十六度三十分なり琉球は北極の地を出づること偏東五十四度なれば則ち琉球と福州とは東西相去ること八度三十分推算するに径は海面一千七百里に直る〕
蓋し我が国開闢の初海浪氾濫し居処するに定らず時に一男一女有り大荒の際に生ず男は志仁礼久と名づけ女は阿摩弥姑と名づく土石を運び樹木を植ゑ用て海浪を防ぎ而して獄森始まる獄森既に成りて人物繁顆す然れども当時の俗穴居野処し物と相友し价傷の心有る無し歴年既に久しく人民機智ありて物初めて敵と為る時に復た一人の首(はじ)めて出でて郡類を分ち民居を定むる者あり叫びて天帝子と称す天帝子三男二女を生む長男は天孫子と為る国君の始めなり二男は按司の始めと為る〔按司は即ち中朝の諸侯の如し〕三男は百姓の始めとなる長女は君君の始と為る〔君は婦女の神職を掌る者の称なり君君は貴族の婦女数十人をして各神職を掌らしむ故に之れを合称して君君と曰ふ康熙の初議して其の数を減ず而して今数職の存ずる有り〕次女は祝祝の始と為る〔祝は亦神職を掌る者の称なり祝祝は諸郡諸村各婦人の神職を掌る者有り故に之れを合称して祝祝と曰ふ今に至るも尚存す〕而して倫道始まる(角川書店出版『球陽 – 読み下し編』からの抜粋)
【参考】伊波普猷著『古琉球』376㌻に琉球開闢に関する『中山世譜』からの引用があり、その内容が『球陽』と同一なのは注目に値します。
我國開闢之初海浪氾濫不足居處時有男一女生于大荒男女志仁禮久(シニレク)女名阿摩彌姑(アマミコ)運土石植草木用防海浪而獄森始矣獄森旣成人物繁夥松當時之俗穴居野處與物相友無有价傷之心曆辛旣久人民機智爲献於時復有一人首分郡類定民居者叫爾天帝子生三男二女云々
東汀随筆 第二回 第三 神道記ノ事
古ニ神道記ト曰フ一巻アリ日本僧袋中ナル者カ著セル処ナリ其叙文ニ法司馬幸明ノ属スル所ニ由テ録ス時ニ尚寧王十七年乙巳ナリト言フ編ク傳記ヲ考フルニ馬幸明ト云フ法司ナシ恐クハ是レ法名ナラン予未ダ曾テ其全文ヲ見スト雖モ其畧抄シタルモノ見タリ事故荒唐シ言詞腐爛シ大卒巫覡ノ妄誕閭閻ノ俚語ヲ採集シ按スルニ己レガ臆度ヲ以テス其国土開闢ノ由来ヲ記シテ言フ當国ノ未ダ人ヲ生セサルニ男女二人天ヨリ降リ男名ハシ子リキユト言ヒ女名ハアマミキユト言フ島国尚ホ至小ニシテ海ニ浮ビ波ニ漂フダシカ(木名)ヲ植ヘテ山ヲ作リシキユ(草名)アダン(木名)ヲ植ヘテ国ヲ作ル二人屋ヲ並ヘテ棲居ス未タ陰陽和合ナシト雖モ往來ノ風ヲ縁トシテ遂ニ三男二女ヲ産ス長男ハ国王ト為ル天孫子ノ始メナリ二男ハ按司ト為ル各郡按司ノ始メナリ三男ハ百姓トナル都郡邑百姓ノ始メナリ長女ハ主部ノ始メナリ二女ハ巫祝ノ始メナリ向象賢ガ著セル中山世鑑ニ記セラルヽニ大同小異セリ(蓋当時世人ノ口碑此ノ如クナラン)
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