今月6日の沖縄タイムスに掲載された〈大弦小弦〉の内容がちょっと香ばしかったので、当ブログにて紹介します。説明不要かと思いますが、10月23日にトルコ政府に保護された安田純平さんに対する(ネット上における)バッシングに対して苦言を呈する内容です。一見もっともなご意見にも思えますが、ブログ主は「何か違うのでは」という違和感を拭い去ることができません。全文を書き写しましたので、読者のみなさん是非ご参照ください。
平成30年11月6日付、沖縄タイムス〈大弦小弦〉
長さ1.5㍍、幅1㍍の独房に押し込められ、立つことも体を伸ばすこともできない。鼻息の音でも拷問され、いつ処刑されるか分からない恐怖が続く。自分だったら耐えられるだろうか‣内戦下のシリアで武装勢力に3年4カ月も拘束され、生還してジャーナリストの安田純平さん(44)が2日に開いた記者会見。拘禁生活の具体的な説明に、自分に身を置き換えて想像すると身震いした‣会見は「何が起きたのか、可能な限り説明することが私の責任」と2時間近く。体験を詳細に語ることで、シリアの惨状に少しでも関心を寄せてほしいとの思いは痛いほど伝わった‣それでも「自己責任」を振りかざすバッシングはやまない。冒頭で政府に謝罪したが「反省が足りない」などと言う‣思えば2004年、イラクで3邦人が人質になった際、自己責任論の口火を切ったのは小泉純一郎首相や閣僚だった。自衛隊を派遣した政府への批判をかわすためとの見方が強いが、人々の心のパンドラの箱を開けた。言ってもいいんだと‣それから14年。今のところ安倍政権の誰も自己責任を問うていない。なのに声高に叫ぶ者が後を絶たないのは、この言葉が社会に根付いてしまった証か。世界の実情を私たちに伝えようとして40カ月も虐げられた人を、さらに痛めつける社会は異常だ。(磯野直)
引用:平成30年(2018年)11月6日付、沖縄タイムス1面
おおざっぱにまとめると「身を挺してシリアの惨状、世界の実情を伝えようとして長期間拘束された人物を必要以上にバッシングするのはおかしい」になりましょうか。確かにネット上における行き過ぎたバッシングは問題ですが、果たして安田さんの行為は本当に「40カ月も虐げられた人」なのでしょうか。
安田さんの証言はファクトチェックの対象外なのか
10月23日にトルコ政府によって保護されて以降、ネット上ではこれまでの安田さんの言動を疑問視する意見が散見されました。3年以上拘束されている割には元気であることを疑う声があったものの、既存のマスコミではあまり問題視することなく、むしろ”生還者”として英雄視された傾向すらあります。
いわゆる「自己責任」に関しても3年前の御自身のツイッターでの発言がきっかけで、はっきり言って自業自得の側面があります。2004年のイラクにおける拘束事件とは経緯が全く異なります。パンドラの箱を開いたのは安田さん自身であって、上記のコラムはその点に言及していません。果たしてコラム執筆者は安田さんの言動の”ファクトチェック”を行ったうえで掲載に踏み切ったのか、きわめて疑問に思わざるを得ません。
良かれと思った行為が悪い結果を生み出した
ブログ主は今回の安田さんの案件は、結果として誘拐犯を利してしまった愚行と判断しています。シリアの惨状を伝えたいという目的は確かに立派ですが、その結果3年以上拘束され、家族を始め世間を騒がして、日本政府およびトルコやカタールといった中東諸国の手を煩わせてしまうことになってしまったからです。
しかも誘拐犯と思わしき組織に身代金が支払われた形跡があります。テロリストと呼んでも差支えない連中に大金が渡った可能性は重大で、本来なら同業者が厳しく安田さんの行為を糾弾しなければなりません。ましてや「平和」が大好きな沖縄マスコミであればなおさらです。もしかして目的が立派であれば結果を問う必要はないとコラム執筆者は考えているのでしょうか。
桑を指して槐を罵る
今回の騒動においてブログ主が印象的だったことは、一部マスコミおよびジャーナリストがネット上に氾濫した”自己責任論”に対して異常なまでに反応したことです。安田さんの拘束事件とは経緯が全く異なる2004年のイラクでの事件を持ち出してまでバッシングを批判することは的外れな感じがしますが、ではなぜここまで過剰に反応するのでしょうか。
安田さんの事件を通じて世間が本当に批判したいのは誰なのか、それは「ろくな検証も行わず安田さんを持ち上げて、しかもネット上の批判をバッシングと切り捨てる既存のマスコミ」が本命と見做して間違いありません。常日頃「事実の報道を徹底」や「ファクトチェック」を唱えている連中が安田さんに関しては例外扱いする、この点に対する不満が必要以上のバッシングにつながったのです。確かにネット上には無責任かつ行き過ぎた言論が氾濫していますが、既存のマスコミは他人に対してあれこれ抜かす前に自分たちの足元を見つめなおしたほうがいいとブログ主は確信して今回の記事を終えます。
【参照】 安田純平さん「拘束から解放までの経緯」