前回当ブログにおいて、米国民政府(USCAR)が発表した『日共の対琉要綱』の前半部(1~29項)を紹介しました。今回は後半部(30~54項)を掲載します。ちなみになぜ米国民政府が日本共産党の対琉指令と思われる書類を公開したのかを考えてみたところ、その理由はただひとつ「琉球政府に防共法を制定してほしい」意向があったからです。そのあたりの流れをブログ主が調子に乗って図解しましたのでご参照ください。
宮里松正(みやざと・まっしょう)著『米国支配27年の回想』を参照すると、昭和27年(1952年)8月19日に米国民政府(USCAR)のビートラー民政副長官が、「沖縄人民党の主義、目的は、国際共産主義と同一である」との見解を発表して以来、米民政府は事あるごとに「共産主義の脅威」を唱えるようになります。ただし沖縄への防共法の制定に動き出したのは、おそらく米国において昭和29年(1954年)8月24日にアイゼンハワー大統領が共産党非合法化法案に署名したのがきっかけかと考えられます。
ただし米民政府は(なぜか)布告や布令といった形ではなく、琉球政府に防共法の立法化を促す方針をとります。そしてその一環として同年8月30日に『日共の対琉要綱』が公表されたと考えることができます。実際に立法院では「共産主義政党調査特別委員会」の設立を圧倒的多数で可決し、翌30年(1955年)の3月まで委員会を開催しますが、最終的に防共法は立法化されませんでした。
立法院側では昭和30年(1955年)3月30日に「人民党は、日本共産党と互いに連絡を取り合っている」と認定はしましたが、ではなぜ防共法の制定が見送られたのか。その理由のひとつが「共産主義的と看做された個人が団体の自由な言論や行動が制限される恐れがある」ため琉球政府や立法院側でも乗り気ではなかったことと、それと(これが一番大きな理由ですが)
防共法より土地収用の問題を何とかしろ!
との世論が極めて強かったからです。
もしもこの時防共法が制定→施行された場合は、人民党は壊滅的な打撃をうけたこと間違いありません。当時獄中の瀬長亀次郎さんは出所しても人民党は非合法化され、選挙への出馬もできず、ただの(人気ある)活動家へ転落することになります。話がすこしそれましたが、『日共の対琉要綱』の後半部を掲載します。読者のみなさん是非ご参照ください。
(一面よりつづく)主権奪取の基礎に – 全労働者支配の機狙え
30、今日の最大の宣伝事項は沖縄の行政権を日本政府の管轄下に返還せよと主張することである。この宣伝のもとにわれわれ〔共産主義者〕は吉田政府打倒に日本人を組織することが出来る。君達〔人民党〕も同じく同宣伝のもとに反米政府沖縄人を組織せよ。そしてそれを一つの統一された共産主義行動としよう。民族の自由を叫んで米国の統治に反対せよ、ソ連はもっと自由を与えると人々に確信させよ。われわれ〔共産主義者〕はまだ軍事力を使用する用意は出来ていない。われわれ〔共産主義者〕は軍事力ではうまくやることができない。多分後日我々は日本でこの運動に対する多くの同調者を一般日本人の中から勝ち取ることが出来る。そして単純な人達に共産主義を奉ぜしむることが出来る。それは好適の一般民衆の運動である。沖縄を占領する前に日本を乗っ取ることが必要だと自己欺瞞に陥るな。両方を一からげにしてわれわれは一挙に二つを一つ網で獲得しよう。
31、終始、日本人と沖縄人と米人は異なった民族であり、ロシア人はアジア人である以上、ロシアの統治はアジア的であるので、日本人向きだと指摘せよ。それはもし共産主義者が与えるような自由を楽しもうと希望するならば、如何なる犠牲を払っても米人をおい払わねばならないことを意味している。
大島を沖縄破壊の基地に
32、奄美大島復帰後、これらの島における日本の統治は未だぜい弱(脆弱)である。われわれはこの混乱した状態を利用した党勢を拡張することができる。奄美大島を沖縄の破壊行動の基地とせよ。
33、共産主義の日本せい服(征服)と沖縄の日本復帰宣伝戦は同時に推進せねばならない。どちらか先に成就しよう、それは構わない。次はそれを成就させるための諸段階である。
A、沖縄の農夫および労働者が米国人からより高い値段と賃金を取るように指導すること、皆それは賛成である。
B、軍用地の返還斗争(闘争)を地主達に起さしめてこれを指摘せよ。そして地主のために高い支払いを得よ。
C、課税の全廃を主張する。
D、食糧の無償配布を主張する。
E、肥料の無料配給。
F、火災による損害にたいする賠償を主張し火災は君ら〔人民党活動家〕が起すこと。
G、水の無償使用。
H、すべての負債を棒引きすること。
I、農夫に対する尚(なお)一層の援助。
以上を人権として掲げ如何なる賃金でも奴隷賃金だと絶叫すること。
34、以上のことについては皆賛成である。日本の農夫さえもこれを信ずる程、愚かであるので沖縄の共産主義運動に加わりつつある。何故ならばそれが如何にもよさ相(そう)に聞(こ)えるからだ。如何なる種類の政府でも以上のことを全部承認することはまず出来ないであろう。君達は斗争(闘争)するのに永続的な一般大衆運動の擁護者となるのだ。沖縄人はわれわれ〔日本共産〕党の機関で考案する様なスローガンと同様のものを考え出すことは出来ないのだからわれわれ〔共産主義者〕が代表として宣伝するのだ。
35、沖縄の米民政府はファシスト的だと叫べ。皆はムツソリニーが死んだのは知ってるが彼の事を考える事を嫌っている。共産主義者の労働組合支配と共産主義者の会合および共産主義宣伝などに対する如何なる抑圧でもこれを排除するよう要求せよ。
文化運動主催し – 寄付集め賞賛とせよ
36、米国が措置を執った場合は何時でもりゃく奪(掠奪)暴行だと叫ぶこと。
37、米軍の沖縄駐屯や米軍基地に対する大衆の抗議を展開し、特にアイゼンハワー大統領の声明(1954/01/07)と新聞に対するオグデン覚書(1954/01/11)などに反対せよ。それらは諸君にとって非常に不利であるのだ。労働組合員に変装して、米国の沖縄無期限統治に反対する民主的な機関と見せかけよ。そしてこのような抗議を諸君の意を体して忠実に実行する地方の沖縄人委員会を通じて繰り返し反響させよ、これを立派な大衆的運動を見せかけよ。
38、軍基地付近に住んでいる人々は米軍と接触する機会を一番多く持っている。彼等の憎悪心と憤慨を惹き起すために出来るだけのことをせよ。
39、われわれ〔共産主義者〕も同じことを日本でやる。特に横須賀では有力だ。仲仕組合を強く支配しているから、このような機関を通じて君達〔人民党〕を援助することができる。
40、資金を集める手だん(手段)として平和擁護運動、赤十字運動、人権擁護運動や憲法、教育、及び文化運動を主催せよ。世人は喜んで寄付するのだ。募金した資金の一部を、募金目的に使用し、残った部分を共産主義運動に使用せよ。
平和を愛せば主義に服従せよ
41、日本の議会に於て、我が〔日本共産党〕代表者は沖縄の問題を提起するよう努力する。
42、人々は平和を愛する。そして共産主義てい国(帝国)の前進に対する抵抗には軍事的な措置が必要であるために、それを好む人々を平和はかい(破壊)者と非難せよ。平和を保つためには総ての人々が共産主義者のせい服(征服)に服従しなければならぬ。沖縄における軍基地の存在は共産主義てい国(帝国)の進展に対し戦いを欲しているとしか受けとれない。若し総ての人が平和を好むならば共産てい国(帝国)の拡大に対して戦うべきではない。唯それを許容し且つそれに従え。われわれ〔共産主義者〕はジュネーブにおいてアメリカが極東、殊に沖縄に軍事力を保持していることを指摘しその侵略と軍国主義を非難する。若しアメリカがその軍事力を引上げるならば沖縄の住民は自由な身となるであろうことを主張せよ。それはわれわれ〔共産主義者〕が入り込むことである。もし彼らが朝鮮およびヴェトナムで抵抗を中止するならばわれわれ〔共産主義者〕はそこに自分達の思うような平和を打ち建てる得るであろう。
43、われわれ〔共産主義者〕は沖縄におけるつぎのような行動が平和を破っているものとして非難する。
A、沖縄は軍事基地であるので軍がある程度支配している。これは排除されなければならない。
B、沖縄人は彼らの政府を維持するために納税することを強制されているがそれはすべてアメリカ合衆国だけによりなされるべきものである。
C、沖縄の共産運動は軍によって壊滅され得るがわれわれには訴える権利がない。
D、沖縄人は米軍の活動に奉仕して給料を受けている。われわれはこれを軍国主義化と呼ぶ。
E、軍基地で沖縄人が給料のために働くのはわれわれは奴隷化と呼ぼう。
F、われわれ〔共産主義者〕が戦っている北鮮(北朝鮮)へ沖縄から爆撃隊が出撃した事に対しわれわれは彼らを戦場化したと非難する。
G、彼等〔米国〕が沖縄から支那(中国大陸)を爆撃する可能性を有することは明らかであるから、これは支那およびアジアに対する侵略であるという可きである。
人民を常に斗(闘)わせ共産主義に利益せよ
44、奄美大島は沖縄におけるあらゆる共産主義活動の基地として使用される可(べ)きである。
45、共産主義者の復帰協会はつぎの事項を主催するものとする。
A、全沖縄人を共産主義者〔にする〕。
B、共産主義者の主催する復帰運動の強化。
C、コミュニケの発表及び沖縄への宣伝を行う宣伝本部を日本に設立する。宣伝は復帰に関する正確な情報に基くことが重要である。沖縄に於けるわれわれ〔共産主義者〕の同調者はこの情報を提供しなければならない。
D、復帰促進募金運動をして共産活動に融資すること。
E、沖縄に於ける共産主義者への同調、激励、援助、連絡を助長する運動を出来るだけ起すこと。
F、沖縄の共産主義活動を妨害する議会政策に反対せよ。
G、日本および米国政府の至当な処置に対して抗議を開始せよ。
H、日本およびその他の外国の共産主義団体と提携せよ。
I、あらゆる機会を通じ平和を絶叫せよ。
統一、政府共産化の暗語
46、「統一」とは沖縄人の政府の共産主義化と復帰を意味する暗語であって、第一の目的である。もし日本と沖縄間に無制限な共産主義者の連絡がなければこれは非常に妨害される。
47、人々〔沖縄住民〕をして常に何かに対して斗争(闘争)せしめよ。然し彼らが戦うことは共産主義の支配を拡大する共同の目的の一部であるようにせよ。先ず彼等をして戦わしめて後それを共産主義者の利益になるようにせよ。
48、色々の共有化問題の為に戦う多くの小さな斗争(闘争)委員会を育成させ、先ず彼等〔沖縄住民〕を戦わしめて後それを諸君の方向(共産化)に転換せしめよ。日本と沖縄人を一つの支配権の下に統一するにはそれ自体としては無益である。が然し、それは全体の政治的実存を一つの網で掻き集めることが出来る。吾々は民主々義団体のような風をした宣伝組織(を形成)しなければならぬ。世界的な名声を持ったお目出たい人を引っ張り出し、その裏書を利用して沖縄から米軍を退ける為の宣伝活動を始めよう。
49、沖縄の共産主義団体は新聞を設立し、あるいはそれを譲り受けることに成功していない。沖縄における共産主義団体へ日々の指令を発表することの出来る新聞を持つことは必須のことである。
50、すべての機会を通じ、沖縄人がアメリカ人の軍事基地に対して軍事行動するように導け、〔人民党〕諸君自身でそれをやってはならぬ。〔人民党〕諸君に代わってほかの人々にそれをさせよ。
51、沖縄に於ける共産党の全面的な取締りは未だ十分組織されていない。全面的な総合指導が欠如している。そしてこれは、奄美大島とも連繋を保ちながら特に都市に注意を払って打ち建てねばならない。この二地区に於ける共産主義の全細胞は出来るだけ多くの党員を獲得するよう勉めねばならない。
52、共産主義運動は平和運動のレッテルをはってあるが、これはまた共産主義に依るせい服(征服)をも意味する合言葉でもある。我々〔共産主義者〕は軍事訓練制度を設け沖縄の住民を軍事行動に採れる態勢に置かねばならない。
53、前述のことを成就するために我々〔共産主義者〕は沖縄と奄美大島に対して軍事指導団を派遣する。
合言葉は平和と復帰
54、二つの共産主義者(日本共産党と沖縄人民党の活動家のこと)の合言葉は平和と復帰である。前者は共産主義のせい服(征服)を意味し後者は日本に於ける共産運動の統一である。我々〔共産主義者〕は日本に於いて共産主義の軍事行動を間もなく開始する予定であるが、吾々〔共産主義者〕は沖縄にそれを最初の機会に推し拡げよう。
【参考】
・昭和29年(1954年)8月31日 – 琉球新報朝刊。日共の対琉要綱の前半部(1~29)
・昭和29年(1954年)9月1日 – 琉球新報朝刊。日共の対琉要綱の前半部(1~29)