選挙における候補者選びについて真面目に考えて見たところ ~ その3

これまで当ブログにて沖縄の選挙における候補者選び(どちらかといえばNG事項)について彼是述べてきました。3つのチェックポイントの最後の項目を説明する前に(補助線として)翁長雄志氏の著書『戦う民意』の165ページの一節を抜粋します。ご参照ください。

子どものころから沖縄のいびつな社会構造や県民の思いに肌で接してきたため、政治の力で県民の心を一つにしたい、一つの政治勢力として定着させたい、という気持ちは他の誰よりも強かったと思います。白黒闘争をうちなーんちゅの誇りで乗り越えなければならないという思いは、一度もぶれずに心の中にありました。

翁長知事は政治家一家に育ち、保守と革新との熾烈な対立を経験したためこのような政治信条をお持ちになったと察することができます。復帰前のアメリカ世(1945年~1972年)における保革対立は確かに激烈でした。それゆえに政治の力で県民の心を一つにしたいと願う気持ちは理解できます。

だがしかし、これが一番ダメなのです。

一見ごもっともな内容に見えますが、左も右もない中立な視点から云々…と唱える政治家、および支持団体は21世紀の沖縄において最大のガンになるとブログ主は確信しています。その理由はいたって簡単で、保革対立を超えるアイデンティティである“うちなーんちゅのこころ”とやらは被差別意識を前提としているからです

アメリカ世を経験した世代なら、「沖縄は差別されている」との主張には共感できます。復帰直後に生れた世代もその主張は理解できるかもしれません。ただし平成以降に生れた世代が昭和世代の抱える被差別意識を共有できるのか?それは絶望的に無理です。現代を生きる世代は「沖縄と本土はもはや平等である」との考えが主流になっているからです。

「沖縄は差別されている」という意識の原点は、実は沖縄戦における敗北とサンフランシスコ講和条約によって日本と切り離されたことにあります。いわば敗戦意識の産物といっても過言ではありません。たしかに明治12年(1879年)以降の廃藩置県後にも他府県人に対する被差別意識はありました。それが全県民レベルに浸透したのは昭和27年(1952年)以降なのです。

当ブログでもすでに指摘していますが、平成以降の世代には「第二次世界大戦における敗戦国意識」がありません。だからこの世代は(昭和世代が抱く)敗戦意識から派生する被差別意識が理解できないのです。むしろ「われわれは本土と対等だから普通にやればできる」と考えているため世代間でどうしようもない意識の断絶があります。

それを政治の力でひとつにできるわけがないのです。ありもしない被差別意識をわざわざ手間隙かけて平成の世代に教え込むのは無理がありすぎます。そんなムダな努力をする人たちはまさに21世紀をいきる世代にとって最大の障害であり、はっきりいえば「老害」そのものです。だまって社会の表舞台から消えてほしい

大事なことなのでくりかえしますが、政治の世界で沖縄県民のこころをひとつにするのは無駄な行為です。むしろ将来の沖縄にとって最大の阻害要因になります。ありもしない被差別意識を前提とした“うちなーんちゅのこころ”あるいは“アイデンティティ”とやらは、今年予定されている沖縄県知事選挙で政治の表舞台から取り除いてほしいと切に願うブログ主であります(終わり)。