ここ数日間、ブログ主は昭和20年から25年にかけての瀬長亀次郎さんの経歴をチェックしていましたが、沖縄公文書館が Web 上で公開している文書のなかに面白い資料を見つけましたので掲載します。
琉球政府文書 – 政党に関する書類(1)結成届け、綱領、会計報告のページで、沖縄人民党関連の資料が公開されていますが、その中の 108㌻以降、1949年11月2日付、沖縄人民党中央委員会が沖縄知事志喜屋孝信(しきや・こうしん)宛てに提出した『政党に関する報告』の中の役員名簿を見たときに、ブログ主は「えっ??」と思った記述がありましたので、画像を貼り付けます。
第三回党大会において人民党は従来の委員長制を廃止して書記長制を採用し、瀬長亀次郎さんが書記長に選出されていますが、注目は経歴に(略の箇所)「七高卒 – 前、うるま新報社長」と記載されていることです。
ブログ主はこの資料を始めてみたとき、
「あんた七高は放校処分で、沖縄に強制送還されたでしょうが?」
と突っ込まざるを得ませんでした。恩師である松原多摩喜氏の回顧録にも、ご自身の回想録にもそのあたりの経緯は明記されています。沖縄知事の志喜屋孝信氏、副知事の又吉康和氏も瀬長さんの経歴を知っているにも関わらず、学歴詐称について突っ込まなかったのでしょうか。現代と違って当時はこのあたりの基準がまだ明確になっていなかったのかもしれません。
ちなみに 1950年1月6日に軍政長官宛の報告書(121㌻以降)には、人民党変遷略史として、こんな記述もありました。
沖縄人民から言論結社集会出版の自由は言ふまでもなく信教の自由まで奪い取ってゐた日本軍閥を撃砕し沖縄人を解放したアメリカ軍に感謝しつつ米軍により與へられた結社の自由を適切に生かし沖縄を民主化するために、1947年7月22日沖縄人民党は結成された(略)。
この当時はまだ“不屈”ではなかったんだなと実感しながら、その他の史料をチェックしている次第であります(終わり)。
【関連リンクサイト】
沖縄公文書館 – 資料紹介 – 琉球政府文書 – 政党に関する書類(1)結成届、綱領、会計報告