琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 男色の慣習がなかったこと その1

日本の歴史に於いて最も人気が高い時代は織田信長などの戦国武将が大活躍した戦国時代か、あるいは新撰組の物語が有名な幕末でしょうか。戦国時代(1467~1590)は京都の足利家の凋落から豊臣秀吉による天下統一までのストーリーに興味を引かれる読者も多いでしょう。登場人物の魅力にも大いに惹かれます。

そんな戦国時代ですが歴史教科書には決して載せない事項があります。タブー扱いになっていますが、それは人身売買戦国武将たちの男色の慣習です。例えば織田信長*は女性よりも男性との性的交渉が多かったなどと教科書に記載することはできないでしょう。歴史教育ではタブー扱いでも問題ありません。

*織田信長はおそらく日本の歴史上初めて黒人と性交渉を持ったことが確認できる人物です(相手は男性)。ただし16世紀には多くの日本人が奴隷として海外に売買されたため、売買先で日本人奴隷が黒人と性交渉を持った可能性はあります。

当時の戦国武将の間では当たり前の慣習で、戦国時代が終わり江戸時代に入ると町人たちの間にも男色の慣習が盛んになります。江戸初期の急激な都市化における男女の人口比のアンバランスが男色が盛んになった理由ですが、江戸中期から後期になると男色は下火になります。

例外は薩摩藩で、明治の半ばまで男色の慣習が残っていたと言われています。他の土地では下火になった男色が薩摩藩では盛んだったのか?その答えは郷中教育と呼ばれる独特の教育方法にあります。その独自の教育法の説明は省きますが、約270年に長い期間実質薩摩藩の支配下にあった琉球国に男色の慣習が持ち込まれなかったのは何故でしょうか?

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