では当時の琉球国においてイスラム教の普及の可能性はゼロだったのか?というとそんなことはありません。実は画期的な方法があったのです。イスラム教は女性にも門戸を開いている宗教です。この点は誤解されている読者も多いでしょう。男女の区別は明確ですがイスラムの教えに帰依することに対しては性別の差別はないのです。
事実イスラムの歴史には女性の法学者や伝承学者が多数存在します。廃藩置県まで女性を学問から排除した琉球の社会構造に比べるとイスラム教のほうが遥かに女性尊重の姿勢です。そこで当事の琉球社会に於ける最高の権威である聞得大君をはじめ神女が全員イスラムの教えに帰依すればあっという間にイスラム教は広まったこと間違いありません。問題はこのアイデアに誰も気が付かなかったことです。
神女組織は15世紀後半の尚真王の時代に再編されます。当事琉球における唯一の全国ネットワークである神女の組織を手中に収めたのがオギヤカ(尚円王の後妻)で息子であるマカトタルカネを王にするために神女組織を最大限に利用します。いわゆるクーデターを起こしたのですが、クーデターを可能にするほど神女の権威は高かったのです。
オギヤカあるいは初代の聞得大君である月清(尚真王の妹)がイスラムに帰依したと仮定すると、その結果世界でも稀な女性優位のイスラム社会が誕生していたでしょう。そして現代の我々は男子ならムハンマドやアブドゥル、女性ならアイーシャなどのイスラムネームになっていたかもしれません。あくまでも仮説ですがイスラムの教えが普及する可能性はゼロではなかったのです(続く)。