琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 イスラム教が普及しなかったこと その4

 では当事の琉球人の知的レベルに問題がないとすれば別の要因でイスラム教が伝播しなかったと考えざるを得ません。イスラムの教えが琉球に到達しなかったのはなぜか、ブログ主が思うには以下の2点です。

1.イスラム教の戒律の厳しさ。

2.当事の琉球国における神女の存在。

イスラム教における戒律の厳しさは別格です。もちろんキリスト教やユダヤ教、あるいは仏教も戒律は厳しいのですが、すべての信徒は平等で、かつ24時間イスラムの教えを遵守しなければならない原則は日本人には想像もつかない厳しさなのです。

分かりやすい例として、仏教の在家信者と出家信者では遵守すべき戒律のレベルが極端に違います。聖と俗がハッキリと区別されていて日本人はこの状態を当たり前を思っています。ジャン・カルバンに代表されるプロテスタントが登場するまでキリスト教(カトリック)も同じです。

イスラム教は違うのです。イスラム教は王であれ、法学者であれ、末端の信者であれ同一の戒律を遵守しないといけないのです。言い換えれば聖と俗が一致している状態で最高権力者とはいえ例外は許されません。だからイスラムの歴史では王がメッカへ巡礼するケースが多いのです(巡礼できない場合は毎年派遣される巡礼団に対する援助を惜しまない)。

日本人のセンスであれば内面重視で教えの真理さえ掴んでいれば外面的行動は軽視しがちです。こういう態度でイスラムに接するととんでもない誤解を生じてしまいます。内面に於いても行動においてもイスラムの教えを遵守していることを常に証明しなければならない姿勢はおそらく当事の琉球人には馴染まなかったと考えざるを得ないのです(続く)。

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