今回も社説ネタです。10月2日の沖縄タイムスに気になる社説が掲載されていましたので、全文を紹介します。
~社説 世代間の溝を埋めよう~
復帰後の45年間で今ほど本土と沖縄の溝が深くなっている時期はないが、沖縄内部でも、世代間の意識の溝が深くなっている。
読谷村波平のチビチリガマが荒らされた事件は、警察の調べで、「心霊スポットの肝試し」を試みた少年4人による「悪ふざけ」の行為だったことが分かった。
チビチリガマは、沖縄戦で「集団自決(強制集団死)」が起き、住民85人が犠牲になった場所である。だが、その歴史的事実も、事実の持つ重みも、若い世代には伝わりにくい。
県内高校生を対象にした平和教育に関するアンケートで、「身近に沖縄戦について話してくれる人はいるか」との問いに対し、2015年調査で初めて、「いない」が多数を占めた。石嶺傳實読谷村長は「子どもたちに平和教育が行き届かず、沖縄戦が風化しつつある」と懸念する。
世代間の意識の溝は、基地問題にも表れている。
NHKが4月に実施した「復帰45年の沖縄」調査によると、沖縄に米軍基地があることについて、復帰前世代では「否定」が過半数だったのに対し、復帰後世代では「容認」が多数を占めた。
米軍普天間飛行場の辺野古移設については、男女別でも世代別でも「反対」が多数を占めたが、世代間で比較すると、復帰前世代で「反対」がより多くなっている。
県が行った15年度の「地域安全保障に関する県民意識調査」でも、同じ傾向がみられた。
NHKの調査で注目されるのは、基地と沖縄振興策との関連である。
復帰後世代では「振興予算は必要なので、基地があってもよい」と答えた人は45%、「振興予算がなくなっても基地がない方がよい」は44%でほぼ拮抗している。
復帰前世代では「あってもよい」が27%だったのにたいし、「ない方がよい」は61%に達し、復帰前世代と復帰後世代の間に大きな意識の隔たりがあることが分かった。
賃金水準が低く、非正規雇用の多い沖縄の若者にとって、いい就職口を確保することは、将来を左右する死活的な問題だ。
歴史体験の違いと、直面する現実の違いが、世代間の意識の違いを生み出しており、その隔たりは想像以上に大きいというべきだろう。
スマホというメディアの存在も、世代を超えた規範や価値の共有を妨げている側面がある。
沖縄大学客員教授の仲村清司さんは「若い世代に沖縄問題を語る大人への無関心と無視が広がっている」と指摘し、発想の転換を促す。
「埋めるべき溝は『本土』より前に『沖縄』の内部にある」(雑誌『Journalism』)
復帰前世代の言葉は若者に届いているだろうか。平和教育を上から押しつけたり、「辺野古反対」を一本調子で語るだけでは、世代間の意識の溝を埋めるのは難しい。若者が直面する現実を踏まえた、新たなアプローチが求められている。
この社説を読んだ第一印象は「世代間の意識のずれは別に珍しいことではなく、いまさら溝を埋める必要なんてありません」。だがしかし復帰前世代の意識を受け継がないとマズい事情が沖縄タイムスにはあるのでしょうか。
現代の若い世代には本土に対する被差別意識がありません。だから“沖縄戦”にしても“基地問題”にしても、復帰前世代の意見を鵜呑みにすることはありませんし、実に様々な視点から沖縄戦や基地問題を見つめています。だから社説にも指摘があるように「平和教育を上から押しつけたり、『辺野古反対』を一本調子で語るだけでは、世代間の意識の溝を埋めるのは難しい」状態であるのは間違いありません。
ジェネレーション・ギャップは“内面の良心の自由”の観念が沖縄社会に浸透した何よりの証拠で、別に怪しむべきものではありません。“復帰前世代の意識”イコール“うちなーんちゅのこころ”ではないことを明示しているのです。そんな溝などほっとけばいいのです。上記の社説は婉曲的に「近頃の若いものは…」と嘆いているようにしか思えません。
当間重剛氏は回想録で次のように述べています。ブログ主も下記文章に全面的に賛同して今回の記事を終えます。
「『今どきの若い者は』という言葉はいつの世でも大人が使う言葉だが、私はそれを、新しい時代、新しい環境に肉体的にも精神的にも自分自身をアジャスト(適応)できない人間のくりことにすぎないと思っている。一種の敗者の持つコンプレックス(劣等感)にすぎない」