例え醜くても真実を知りたい、学びたい、そして伝えたい

数日前になりますが、9月29日の琉球新報の一面に次のような社説が掲載されていました。

~金口木舌~

10年前の9月29日、宜野湾海浜公園での光景を忘れることはないだろう。まだ強い日差しが照り付ける中、押し寄せる人の波は、途切れることがなかった▸文部科学省の高校歴史教科書検定で、沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)について日本軍強制の記述が削除されたことに、県民は怒り、悲しんだ。検定意見の撤回と記述の回復を求める県民大会に、11万人(主催者発表)が参加した▸「沖縄戦を体験したおじい、おばあたちが、うそをついていると言うのか」。壇上で、高校生代表が問い掛けた。体験者は声を振り絞り、決して思い出したくないつらい過去を語った▸張り詰めたあの空気をなんと表現したらいいのだろう。幼い子を抱いた家族連れが、つえをついたお年寄りが、制服姿の中高生たちが、唇をかみしめ、目に涙を浮かべ、静かに体験者の証言に寄り添った▸あれから10年。求めていた記述の回復はなく、過去の戦争の実相をゆがめようという動きは強まり、あからさまになっている。政府は、政権の意図を反映した教科書を採択しやすくなるよう教育制度を変えた▸それでも「歴史を曲げてはいけない」と立ち上がった11万人の思いがある限り、真実は消えない。「例え醜くても真実を知りたい、学びたい、そして伝えたい」。あの日の高校生代表の言葉は、県民の決意そのものだ。

そういえば10年前の平成19年(2007)9月29日に、宜野湾海浜公園で教科書検定に抗議する県民大会が開催され、主催者側やマスコミが11万発表と頻りにアピールしていたことを思い出しました。まぁ、宜野湾海浜公園のキャパを考えると11万の人数を収容するのはとても不可能で、なぜこんな大法螺を吹いたか理解に苦しんだ覚えがあります。

県民大会開催時の“参加者人数の水増し発表”はもはや伝統芸能の域に達しているので、いまさらあれこれ突っ込む気にはなりませんが、10年後の社説で“「歴史を曲げてはいけない」と立ち上がった11万人……”と記述しているのはさすがにどうかと思わざるを得ません。主催者発表の数字を10年間も検証しないのは如何なる理由があるのか?このあたりの“大人の事情”は是非とも知りたいところです。

「例え醜くても真実を知りたい、学びたい、そして伝えたい」。あの日の高校生代表の言葉は琉球新報社にも当てはまります(まさか自分達は無関係とでも思っているのでしょうか)。上記のような社説を掲載するならば、10年前の県民大会の(主催者発表ではなく)参加者実数を公表してほしいところです。当時の上空写真のデータがあれば実数カウントは不可能ではないと思われます。他者に真実を求めるなら、先ず自らの襟を正すのが社会の木鐸たるマスメディアの使命ではないのでしょうか(終わり)。


【関連項目】

・揺らぎだした「11万人の県民大会」

http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/e35c394c31507e320e37a2887e2e2618

・9月29日の沖縄タイムスでは下図のように10年前の県民大会の特集記事が掲載されていました。