14世紀後半から15世紀にかけて琉球国の商人たちは朝貢貿易だけではなく、ジャワやマラヤなどの東南アジアにも進出して交易を行っていました。ここで不思議なのは当事の交易に於いて琉球人とイスラム教徒との接触があったのかなかったのか?
この点は本当に分からないのです。別に南方に限らずとも朝貢貿易に於ける琉球の指定港は泉州です。後に福州に変更されますが泉州は当事中国大陸に於いてイスラム教が盛んだった地域です。アラブ世界にもザイトゥーンの名で知られた国際都市で1346年(貞和2/興国7)にイブン・バトゥータも泉州を訪れています。
東アジア屈指の国際都市に泉州琉球館(来遠駅)を拠点として交易を行っているにも関わらずイスラム教徒との接触があったか分からない件は正直解せないのです。図書館にある分厚い歴史書を隅から隅まで確認すれば何らかの記述はあるでしょう。
もっと解せないのはイスラム教徒との接触がないことを不思議とも思わない沖縄の歴史家の態度です。それほどまでに琉球人(および現代の沖縄県民)とイスラム教は縁遠い存在と言えます。622年のヒジュラを起点として約700年の時を経て中国大陸やフィリピンのミンダナオ島にまで到達した伝播力抜群の宗教がなぜ当事の琉球に到達しなかったのでしょうか(続く)。
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