とある Facebook の投稿に対する琉球新報社の態度について思ったこと その3

Chobyo_Yara

今回は、昭和48年(1973)の若夏国体開催時に実際に起こった沖縄県民による自衛隊員への差別事件について記述します。その前に若夏国体について説明します。

若夏国体 わかなつこくたい 沖縄の復帰記念事業の一環としておこなわれた沖縄特別国民大会のこと。〈強く・明るく・新しく〉とテーマに、1973年(昭和48)5月3日から6日まで10市1町で開かれた。天皇・皇后杯はなく、都道府県対抗の形式ではあったが、得点制とはせずに順位のみを決める方式で競われた。1県平均60人内外の役員・選手団、総勢3342人が参加。日本体育協会・文部省・総理府・沖縄県が主催し、運営にあたる。県選手団は、ウェートリフティングが弓道(一般男子)、ボクシング(高校)など7種目に優勝し健闘が目立った。天皇の臨席や自衛隊の運営協力はなかった。しかし、2種目に自衛隊チームの参加があり、一部の反発も招いたが、このトラブルを除けば、参加する者、迎える者一体となって大きな成果を収めた。開催にともなう体育施設の充実や選手の強化など、県のスポーツへの貢献も大きかった。〈崎原孫佳〉

上記は沖縄タイムス社刊行の「沖縄大百科事典」よりの抜粋です。「一部の反発を招いたが、このトラブルを除けば、参加する者、迎える者一体となって大きな成果を収めた」とありますが、ではその一部の反発がどのようなものであったか下記をご参照ください。

~昭和48年に開催された若夏国体に参加した自衛隊員に対する差別事件~

・復帰後の昭和48年に沖縄において特別国体(若夏国体)が開催。国体開催の運営にあたっては、通信や輸送部門で自衛隊の協力は求めない「自衛隊抜き」で行う予定だった。ただし選手団の派遣はあくまで他県が決めることで、本来は沖縄側が関与する事項ではない。

・ところが佐賀県と埼玉県の選手団に自衛隊員の参加者がいることを知った沖縄県内の労組や民主団体が猛烈に反発。佐賀県の場合は、佐賀の労組にも飛び火して、さらに沖縄の労組が反発するという深刻な事態に発展。事態を重く見た佐賀県知事(池田直)は、自衛隊員が参加した軟式野球チームを選手団から外すことを表明。

・だがしかし、この件を佐賀県関係者が政府に報告すると「スポーツに対する政治介入」「選手差別」と突っ込みが入り、日本体育協会からも強い反対の意向あり。文部省からのキツい突っ込みに、池田佐賀県知事は前言を撤回して自衛隊チームを再び参加させることを表明。そうなると、沖縄の労組や民主団体が「政治権力の不当介入」と大反発する事態。

・5月2日、佐賀県軟式野球チームが労組の抗議団と起動隊で埋め尽くされた那覇港に到着。自衛隊一向はバスで宿泊地に向かうも、北谷村(当時)の宿舎前で労組員のつるし上げを食らう。自衛隊の選手が参加していた埼玉県の重量挙げの選手団も、名護市の宿舎前で同じようなつるし上げを食らう。しかも労組団体は「自衛隊の出場する試合には協力しない」との態度を相次いで表明。

・5月4日、沖縄市営球場で、佐賀県軟式野球チームは青森県チームと対戦。試合開始前から、球場内外で抗議団のヤジと怒号に包まれ、試合途中に続行不能、スタンドに起動隊が出動。佐賀県チームは敗退も、この異常な事態に対して日本体育協会や大会役員からキツい突っ込みが入る。屋良朝苗知事は副知事らを青森、佐賀選手団本部に派遣して釈明にあたらせる羽目になる。

この事件は朝日新聞社刊行の『屋良朝苗回顧録』からブログ主がまとめたものですが、国体の歴史上において試合が機動隊に守られて行われたのはこの時が初めてです。露骨なまでの自衛隊員に対する差別待遇ですが、ほかにも深沢長朗日本体育協会第一業務部長の証言も抜粋しますのでご参考ください。

〈証言〉 佐賀県の自衛隊チームが那覇港に着いたとき、埠頭に来ていた沖縄の関係者が一斉にユニフォームの上着をぬいでソッポを向いたのが印象的だった。重量挙げ会場でも隊員選手が入場すると、ブラスバンドを指揮していた先生が上着を捨て、小学生は引き揚げた。屋良さんは「彼らにとって精一杯の抵抗」といわれたが、本土とはまったく違った県民感情に接し、複雑な気持ちだった。国体の試合が機動隊に守られて行われたのは後にも先にもないこと、何ともやり切れない思いだった。(深沢長郎氏・日本体育協会第一業務部長)

このときの前例、および行動パターンが一部の沖縄県民にまだ残っているのです。復帰後の1970年代は、自衛隊に対する抗議活動として「住民登録阻止問題」や「成人式参加阻止闘争」などがありますが、一般の沖縄県民における自衛隊の見方が変化したのは昭和55年(1980)に沖縄県が正式に自衛官募集業務を受け入れたときからです。

決定的なのは平成3年(1991)のソビエトの崩壊で、日本の国防の重点が北方から南西に変わることで沖縄県民の自衛隊に対する態度も激変します。実際に自衛隊に勤務する県民も増えてきたことも、自衛隊のイメージアップに一役を買っているのですが、そのことを絶対に認めないのが、沖縄の県内2紙(沖縄タイムス、琉球新報)および旧革新陣営とその支持者です。今回の石嶺市議の舌禍事件に対する2紙および旧革新陣営の冷淡な態度を見るに、未だ自衛隊に旧日本軍のイメージを引きずっていて、自衛隊および自衛官に対するあからさまな差別感情を保持していることがブログ主には否定できません。(続く)。

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