「おもろさうし」から見た勝連の実力(一)

今回から数回にわたって「おもろさうし」から見た勝連の “実力” について考察します。具体的には他の地域(中城・越来)のオモロと比較することで、勝連の国力を推測していくわけですが、その前に「おもろさうし」に登場する “神” についてまとめておきます。

前の記事でも触れましたが、「おもろさうし」に登場する神が守護する対象は国王などの為政者(城主)であり、住民は意識の対象外です。ということは古りうきう社会は現代流の民族意識ではなく、城主と民は祭祀を通じて緩やかな連帯意識を保っていたと考えられます。

その他にも “神” の特徴を挙げると

・性別の判断ができない。

・職能化されていない。

になります。ちなみに職能化について詳しく説明すると、(飛翔の神とか農業の神など)〇〇の神と断定できる存在が見当たりません。しかも興味深いのが、船舶に対するオモロが多数存在するにも関わらず “大交易時代” を裏付けるような「航海の神」が登場しないのです。

それはつまり17世紀以前のりうきう社会は我々が思っている以上に “未開” であったことの裏付けかもしれませんが、いまはその点に突っ込むのはやめておきます。ただし職能化されていないりうきうの神にもいくつかの例外があり、その一つが中城のオモロに登場する「戦争の神」です。

先に鳥越先生の解釈を紹介しておきますが、

或る戦争の出陣にあたり、女神官が武将を力づけた神託である。「鬼の君」と対語の「寄らせ君」」とは軍神の意と見てよかろう。しかもそれは作者である女神官を指すものと見てよい。文意は安谷屋城の強いことはすでに世間に知れわたり、守護の軍神の名も衆知のことだ。それ故にこの戦争には神は霊力をつかわし、武将の辺戸さまは奮戦して勝利をもたらして帰って来ませ、とのべたものである。

とあり、中城のオモロには戦に関するワード(剣、軍船、直垂、武将など)がよく登場します。つまり古代社会においては絶えず戦が発生しており、そして中城は戦略上の要衝だったわけです。なお、戦争の神が登場するオモロは以下ご参照ください。

(二ノ二五) うらおそいおもろのふし

一 あたにやも、しらたる、きも、あくみ、しらたる、この、いくさ、せちやて、もとせ

又 おにのきも(み)、しらたる、よらせ、きみ、しらたる

又 よなはしきや、へともいか、かたな、うち

(二ノ二五) 浦襲おもろの節

一 安谷屋も知られたる、肝崇め、知られたる。此の軍、筋、遣って戻せ。

又 鬼の君、知られたる、寄らせ君、知られたる。(一節三行目から折返、以下同)

又 世直しが、辺戸もいが刀打ち、

【解釈】①心から尊び敬う安谷屋城も、また世間にその名を知られている。この戦に、神は霊力をつかわして勝って帰らせよ。②敵をなびき従える鬼のごとき勇猛な神の名も、また世間に知られている。……③御代を改め直す辺さま(人名)の刀を佩ているさまよ。……

他にも注目すべきは、中城が「隼船(軍船)」を所有していたオモロ(2の12)です。古代社会おいて船の所有=国力の高さと見做しても誤りではないので、交易船ではなく軍船を所持していた中城の力は(首里を除く)他の地域を圧していた可能性が十分考えられます。

ところが極めて興味深いことに、勝連には “戦” を連想させるオモロが一つもありません。その代わりに登場するのが勝連城跡の一の曲輪の「たまのみうち(タマノミウチ御殿)」です。それ故にブログ主は勝連は “りうきう有数の聖地” として認識されていたものの、

国力において中城にはとても及ばない存在

であったと想定しています。もしかすると近隣の具志川と越来とを足して、やっとこさ中城と相対できるレベル差があったのかもしれません。

次回は、古代におけるもう一つの重要地区である越来と勝連の実力を比較考証します。