阿麻和利の乱(四)

前回の記事において、古りうきうにおける勝連と首里との関係が伺えるオモロを紹介しました。そして今回紹介するオモロが決定打になりそうですが、実はこのオモロは鳥越先生の解釈に(唯一)納得いかなかった難解な内容となっています。

今回は先にオモロの解釈を紹介すると、「①②おもろ殿原(人名)だよ、預言者の言葉は正しいことよ。勝連(地名)を選んで、千代にいましませよ。③名高い阿麻和利(人名)よ、国における兄弟をお生みなされて、……」であり、鳥越先生はオモロ詩人が「千代にいましませよ(=永遠にあれ)」と讃えている相手が阿麻和利であると考えています。該当のオモロは以下ご参照ください。

(一六ノ二) 命上がりが節

一 おもろ、殿原よ、末の口、正(まさ)しさ。勝連、選びやり、千代わされい。

又 調め、殿原よ、(一節二行目から折返)

又 聞こえ阿麻和利や、国の弟兄、生し御座して、(一節三行目から折返)

参考までに、おもろ殿原とは巻八「おもろねやかりあかいんこかおもろ御さうし」に登場する男性のオモロ詩人であり、意訳すると「オモロの音頭をとる人」となります。そして特定個人ではなく王府に仕えていた職能集団の一員だったと思われます。

鳥越先生の解釈に従うと、首里のオモロ詩人がわざわざ勝連まで赴いて阿麻和利を讃えるオモロを唱えたという訳ですが、ブログ主には「国の弟兄、生し御座して」を「国における兄弟(=国民)をお生みなされて」の解釈がどうしてもしっくりきません。なんかわかったようなわからないようなもやっとした気分になります。

そこでこのオモロにおいて、詩人が「千代にいましませよ」と讃えているのは阿麻和利ではなく、首里の国王であると仮定すると、

①② おもろ殿原よ、予言者の言葉は正しいことよ。(国王は)勝連(の城主を)を選んで、千代にいましませよ。

③ 名高い阿麻和利よ、(国王)は彼を縁者(国の弟兄)になし給いて、〔千代にいましませよ。〕

となり、オモロ詩人が

勝連の主を選んだ国王の有能さを讃えたオモロ

と考えたほうがすっきりします。つまり、このオモロは本来なら巻八に集録されるはずが、何故か巻十六に載せられたと考えられるのです。

ここで問題になるのは「おもろ殿原」が何時の時代の人物だったかです。ちなみに巻八に登場する「おもろ音あかり」はどうやら第二尚氏時代の人物であり、実際に尚真王を讃えた内容のオモロも掲載されています。となると、第二尚氏時代も

勝連城主は “阿麻和利” を名乗っていた

こととなり、阿麻和利は第一尚氏時代の勝連城主の「個人」を指す称号ではなかったことになります(続く)。

【補足】参考までに巻八に掲載された「おもろ音上がり」が尚真王を讃えたオモロを紹介しますのでご参照ください。

(八の二六)おもろ真声子が節

一 おもろ音上がりは、調め音上がりは。十百歳こそ千代わされれ。

又 首里森、千代わされる、御近もいがなし(一節三行目折返、以下同)

又 天に照る星こそ、星こそ算し御座されれ。

【解釈】①おもろ音上がりは。国王はいく歳もいましまされる。②首里城にいらっしゃる尚真王…③天に美しく光る星のように、数多くの年をいまされる…

鳥越先生による説明は「詩人の音上がりが国王の千歳を慶したもので、その年数の多いのを星にたとえて述べたものである。女神官の神託の場合と同じように呪術者としての詩人の言挙げによって、かく長く生き得ることができるようになるものと信じられていたものである」とあり、オモロ詩人が尚真王の長寿を慶した内容となっています。このオモロに登場する「おもろ音上がり」が(一六ノ二)に登場する人物と同一とは断定できませんが、尚真王時代に首里王府直属のオモロ詩人が存在していたことを理解していただけると幸いです。