昭和のりうきう(民度編)

以前、ブログ主は琉球新報特集記事「婦人の見た中国」(全6回)の全文およびまとめページを当運営ブログにて公開しました。昭和のりうきう知識人のちうごく感が伺える貴重な内容ですが、ただし現代人から見ると “お花畑” に思えるのも無理はありません。

ブログ主なりに要約すると、「ちうごくは沖縄に比べると貧しい。ただし一つの思想のもとで社会秩序が確立しているが故に国民の民度は高く、健康的な市民生活を営むことができる」になりますが、それはつまり「我が沖縄において不健全な市民生活を営まざるを得ないのは、県民の民度が低く、それは社会秩序が確立していないからだ」の裏返しであって、垣花静枝さんの報告は当時のりうきう社会の物騒さ※を裏付けていると言えるのです。

※復帰前後の犯罪発生率は現代の約2~3倍です。

しかもその思いは彼女だけでなく、復帰前後の沖縄の意識高い系の共通観念と言っても過言ではありません。ちなみに「民度」が一番反映されるのは交通マナーというのが定番ですが、参考までに以下引用の記事をご参照ください。

めんそーれ 俵宗司君 / 浩二ちゃん

五日前に来たんです。お父さんの仕事の関係で福井から…。今、ホテル住まいだけど、もうすぐアパートに遷んです。学校?ぼくはもう通ってます。弟の浩二はアパートに移ってから保育所に行くことになってるの。

友だちは学校に通って三日ぐらいやけど、だいぶできました。みんないいんだけど、ほとんどの人が真っ黒でしょう。それにみんな髪がないの、刈ってしまって丸刈り。ぼくは長髪なんやけど…。まだ全体的に背は低いみたい。先生?ウーンやさしくて普通から。勉強の方は進み方が少し遅いみたい。ぼくが向こうで習ってきたのを今やっているから…。

それとうちの学校の友だちは兄弟が三、四人なんて多いですね。むこうだとせいぜい二人ぐらいだけど…。核家族ってのはないのかナ。

ここに来て国際通りを見たぐらいですけど、道路がものすごくほこりっぽいね。それに道が狭くてたいへん。またドライバーもルールを守ってないようです。

よく横断歩道の中まで車を突っ込んで歩行者が渡れなくなるでしょう。

それとすみっこに車を止めて車が通れなくなったりね。車は多いんやけど…。

福井?むこうは道路は広いし米はうまいし雄大なとこです。でも日本で二番目から人口が少ないのは。日本海でちょっと田舎やから…。それに大阪や名古屋から遠いでしょう。まア、雪が降っていいんだけど霜やけできるしね。どこも一長一短かな。

沖縄は空が青くてほんとにきれいだけど、街はきたないしね。人口が百万人で、車はたくさんあるでしょう。なんかギュウギュウ詰めてる感じ。(ホテル・やぎで)(昭和49年10月6日付琉球新報朝刊10面)

子供心にも復帰後の社会の物々しさを感じ取っている内容なんですが、これが意識高い系になると表現もどぎつくなります。

県議会企画総務委沖縄県民は民度が低く野卑

県議会・企画総務委で集中審議中の「迷惑防止条例案」は、審議が深まるにつれて問題点が浮き彫りにあれ、県民の関心も高まってきた。当初、観光連盟、沖婦連、タクシー協会など制定促進派だけの陳情が出されていたが、その後県労協、全沖労連など反対派の巻き返し陳情が活発化。「小暴力取り締まり」「人権侵害」の二律背反の性格を合わせ持つ同条例に対し、賛否の論争が激化する気配を見せている。一方、県議会では、5日、賛否両論の学識経験者を招いて参考意見を聞いたが、自民党県連が推薦した亀川正東琉大教授が、沖縄県民を「民度の低い野卑な人々」と決めつけ「社会性が低いくせに、イージー・ゴーイングが非常に強い県民は、公のしつけが必要である」とユニーク(?)な発送で条例制定を強調。与党が「こんなにバカにされては質問する気にもなれない」と、同教授への質疑をボイコットするなどハタ迷惑なハプニングも飛び込んで、すったもんだの審議が続いている。(以下略)(昭和49年12月06日付琉球新報朝刊11面)

ただし、亀川教授の言いたい気持ちも、垣花さんがちうごくを “理想郷” にしたい気持ちは理解できます。ブログ主は長年復帰前後の新聞史料をチェックしてきましたが、当時の琉球住民(復帰後は沖縄県民)の「民度の低さ」をつくづく痛感しました。それはつまり「ルール」に対するセンスが復帰直後と現代では大きく異なっているのです。

なお活字レベルでも伺える「(昭和の)民度の低さ」は、残念ながら現代でも一部の県民に散見されます。復帰前後に10~20代を過ごしたシージャたち、とくに

安和桟橋の事件に関するオール沖縄会議および支持者たちの言動

をチェックすると、そのことを実感できると確信しつつ今回の記事を終えます。