前回の記事において勝連城における最も重要な場所である「玉ノミウヂ御嶽」について言及しました。おもろさうしでは「たまのみうち(玉の御内)」と表記され、意訳すると「美しい御庭」になります。
ではなぜこの場所が最重要なのか、それは天界の神が地上に降臨する際に、最初に降り立つ場所と信じられていたからです。そしてブログ主は古りうきう時代の勝連城で行なわれた年中行事のなかでも、最も重要な祭祀がこの場所で行なわれていたと確信しています。
参考までに個人的に極めて重要と考える勝連のオモロを紹介します。
(一六ノ一) 弟君優りが節
一 阿応理屋恵が庭の響み、按司、誇る、親庭の響み。
又 筋高子が庭の響み、(一節二行目から折り返し、以下同)
又 勝連の庭の響み、
鳥越先生の解釈は「①② 霊力のすぐれた者なる阿応理屋恵(女神官名)の、広場の鳴りひびくことよ。城主がよろこんでいる大きな広場の国に鳴りわたることよ。③ 勝連城の広場の鳴り響くことよ、……」ですが、注目はあおりやえ〔ooriee:オーリエー〕が勝連の庭を讃えた唄である点です。この勝連の庭こそが「玉ノミウヂ御嶽」であり、つまり首里王府所属の最高レベルの女神官がその場所を賛美しているのです。
※あおりやえ(阿応理屋恵)は女官御双紙によると、初代は尚清王の娘(號徳天)で、二代目までは王の子女がその役目を務めています。
興味深いことに「あまわり」も「あおりやえ」も語源は同じなのです。鳥越先生によると「あおりやえ」の語源は「天降り合い」であり、ブログ主なりに意訳すると「天から降りてくる神霊と合体する」になります。つまり勝連の地において、最初に神霊が降臨する場所で最高女神官が祭祀を司り、そしてその場所を褒め称えるオモロを唱えるのは納得の行動なのです。
神が最初に降り立つ場所との表現がいまいち理解できない読者もいらっしゃるかと思われますが、ブログ主は遠くから勝連城を臨み、かつ玉ノミウヂ御嶽で四方の景色を眺めた時に、この地を管理する按司に「あまわり」の聖名が付けられたか、即座に納得できた感がありました。
つまりかの地を「神の血筋を引くもの(天降り)」が管理するのは、古代社会において非常に合理的な発想なのです。
やはり「あまわり」は単なる個人名ではなく、聖地である「かつれん」を管理する按司たちに代々受け継がれてきた聖名で間違いありません。その点も踏まえて次回は勝連按司の系譜について考察します。