今月19日の沖縄タイムス1面に「安和の現場から」と題した安和桟橋の事故(6月28日)に関する特集記事が掲載されていました。いまさら3カ月前の事件の特集記事を?と疑問に思ったブログ主は、試しに読んでみたところ興味深いことが分かりましたので、当ブログにてまとめてみました。
今回の特集記事の特徴を挙げると
・沖縄タイムスの先行報道、そして琉球新報が後追い記事を掲載の、辺野古新基地建設絡みではちょっと珍しい流れになっていること。
・両紙とも「現場の危険な誘導」が事故の主因であるとの前提で記事が掲載されていますが、沖縄タイムスに比べて琉球新報は淡々とした記述にとどめていること。
・ただし両紙とも安和桟橋の現場には「暗黙のルール」があったことを明記している
点になりましょうか。やはり目を惹くのが「暗黙の了解」の件であり、沖縄タイムスの記事によると、
抗議をしている市民とダンプ運転手は、6月の死傷事故があった桟橋の出口で、市民が歩道を渡り切るとダンプが1台出すという「暗黙の了解」を共有していた。それが事故発生前に、市民の隙を見て2台連続で出るような誘導に変わっていったという。
男性は「前の事業者の時にはそこまで無理して搬入はしなかった。分かりやすく言えば反対派の皆さんと『共存しながら』という感じだった」と述懐する。「『2台出し』は市民の皆さんからしたら約束違反ですよね。抗議する皆さんの怒りも感じていた」(令和06年09月19日付沖縄タイムス23面)
とあり、誘導方法が変わるまでは、抗議活動家と現場が「共存」していたことが伺えます。今回はその「共存」が崩れたことによって事故が起こり、その点を運転手は憤っているのですが、よくよく考えると「共存」しての抗議活動とは、
本気で土砂搬入を止める気がなかった
と言っているようなもので、それは「活動家たちを刺激するような言動は絶対に避けるべき」との現場の “共通認識” があって始めて成り立つ「共存」なのです。ということは安和桟橋の抗議活動は現場の「善意」によって成り立つ「抗議のための抗議」であって、こんなものに6年も付き合わされた現場の苦労は察するに余りあります。
「抗議のための抗議」であるならば、従来の共存関係が崩れた場合、「別の共存関係」を作るべく双方が努力すれば事故は防げたはずですが、それができる前に不幸な事件が起こってしまったとわけです。
なお、「現場では絶対に抗議活動家を刺激する言動はできない」という共通認識について補足すると、かつての「土人発言」のようについうっかり暴言を吐いてしまうと、既存メディアを通じて炎上してしまい、「(本当に)土砂搬入が止まってしまう」事態になりかねないので、現場が極めて慎重になるのも理解できます。それを踏まえてダンプカー運転手の証言を読むと、
桑を指して槐を罵る
とはよく言ったもんだと妙に納得した次第であります。
最後に、この記事が出たタイミングについて邪推すると、おそらく9月16日のOTVニュースがキッカケかと思われます。つまり辺野古新基地反対の活動家たちが「現場の危険な誘導が事故の主因」に合致する “事実” を欲している状態であり、それに沖縄2紙が応えた形になっています。ただし肝心の県警がなかなか捜査結果を公表してくれない、そして活動家たちが最も恐れているのが、
衆議院解散総選挙の直前で都合の悪い情報が公表されること
であり、実際にありえるしまたないかもしれない、この曖昧さが逆に彼らには耐えられない。活動家たちはそれを緩和してくれる「情報」に飢えているのです。
いかがでしょうか。沖縄2紙の安和桟橋の報道は「民意を顧みず強行されてきた辺野古新基地建設の現場で起きた(沖縄タイムス)」が前提になっていますが、それを頭から取り去って記事を読むと、別の “真実” が浮かび上がってくるもんだと確信しつつ、今回の記事を終えます。