阿麻和利の謎 – 肝高(1)

今回は勝連の対語である「きむたか」について言及しますが、その前におもろさうしの対語表現について説明します。

おもろさうしでは対語が多数見受けられますが、これは「同じ言葉をくり返し使わない」という理にかなった文学表現です。ちなみにおもろそうしの対語表現は、最初に人名(あるいは地名)を唱え、別行で性質や特性を表記するケースが多く、たとえば首里森(首里城のこと)の対語は真玉森であり、意訳すると「美しい首里王城」になります。

ということは対語から人名や地名の特性を推測できるわけであり、今回はこの方法を使って勝連の正体について言及します。

まずは「きむたか(あるいはきもたか)」は〔cimutaka:チムタカ〕と発音し、「肝高」の漢字を当てます。そして現代語に訳すると「気高い」から転じて「誇り高い」になります。ただし勝連のオモロの厄介なところは

1.かつれん(地名)/きもたか の場合は「気高い勝連の」と訳し

2.かつれんのあまわり(地名+人名)/きもたかのあまわり の場合は「誇り高き勝連(城)のあまわり」と訳することができます。

つまり、きむたか(肝高)は単に勝連(地名)の性質なのか、あまわり(人名)を讃えた表現なのかがちょっと判別しにくいのです。そのため当ブログではきむたか(肝高)は人名ではなく地名の特性を表わしていると仮定して論を進めることにします。

ちょっと話それますが、きむたか(肝高)によく似た対語表現に「せたか(筋高)」、あるいは「きもあくみ(肝崇)」があります。例えばせたか(筋高)の場合は、「きこゑ大きみきや/とよむせたかこか」と表記されたオモロがあり、訳は「名高く鳴り響く霊力の優れたものなる大君(最高女神官)」です。きもあくみ(肝崇)の場合は前の記事でも紹介しましたが、「あだにや(安谷屋)/きもあくみ(肝崇)」であり、「心から敬愛すべき安谷屋の地」の意味です。

きむたか(肝高)もきもあくみ(肝崇)で使われている「肝」はご存じの通り「心」で現代でもよくつかわれています。だがしかしブログ主はおもろさうしで使われている「きむ(肝)」は別の意味があるのではと考えており、それは恐らく「霊気が宿る」であろうと推測しています。

古りうきう社会においてきむ(肝)もせ(筋)も語源は「神霊、あるいは霊気」であり、せ(筋)の場合はそこから転じて「血筋、血統」の意として、きむ(肝)は「心」という意味で用いられるようになったと考えられます。ただしせ(筋)の場合は(霊力→)血統の意に転じるのはともかく、きむ(肝)の語源がなぜ「霊」なのかはちょっと理解し辛いかと思われます。

ただし、その疑問も勝連城跡を訪れた際に氷解した感があったので、次回はその点について言及します。

【追記】現代ではきむたか(肝高)は阿麻和利の人となりを示す対語として用いられています。なお、その解釈は誤っているとは言い難く、勝連のオモロをそのように解釈しても意味は通ります。巻16勝連・具志川のおもろ御さうしから一例を挙げると

(一六ノ一五) 浦襲節

一 勝連の阿麻和利、聞え阿麻和利や、大国の響み。

又 肝高の阿麻和利、(一節二行目から折返)

とあり、大意は「誇り高き勝連城の阿麻和利(人名)、名高い阿麻和利よ、我が国における誉だ」になります。それ故に偉大なる伊波普猷先生は勝連の阿麻和利は古りうきう最後の英雄だと明言したのかもしれません。