阿麻和利の謎 – 番外編(2)

前回の記事において、おもろさうし巻10「ありきゑとのおもろ御さうし」にあるりうきう開闢のオモロについて言及しましたが、今回は「中山世鑑」に掲載されている天地開闢物語との違いについて深堀します。

実は当ブログにて、過去に「球神話に関するちょっとした考察」と題した記事を配信したのを思い出したので、改めて二つの神話を比較検討してみたところ、17世紀の為政者たちによっておもろさうしの開闢神話が大きく書き換えられていることが分かったのです。

ざっと説明すると、共通点は「りうきうの地は天の最高神の命によってあまみきょによって作られた」であり、相違点は神の血筋と社会階層の有無です。具体的にはおもろさうしの方は「神の血筋ではなく、人の血筋を造る」よう最高神による命令が下され、かつ社会階級については言及なしですが、「中山世鑑」のほうは天帝(最高神)の種(御子)が下され、地上において三男二女を設け、彼らによって社会階層が形成された※という流れです。

※つまり羽地朝秀はりうきうは神によって社会階層が決定づけられていると主張したかったのでしょうが、おもろさうしにはそんな発想はどこにもありません。

「おもろさうし」のほうが17世紀以前にりうきう社会で信じられていた神話で間違いないと思われますが、ではなぜ17世紀以降に歴史の書き換えが行なわれたのでしょうか。その点については今は触れずに、羽地朝秀以降、歴史記述に「漢学イデオロギー」が導入された結果、16世紀以前のりうきう社会の実相が把握し辛くなったことと、それによって

阿麻和利のイメージが独り歩きした結果、かえってその正体が分からなくなってしまった

点は見逃すことができません。

ハッキリいって、17世紀後半から18世紀初頭に描かれた阿麻和利のイメージはすべて眉唾とみて間違いなく、朱子学を中心とした漢学イデオロギーに毒されない16世紀以前のりうきう社会を推測しつつ、そこから “あまわり” の正体を探っていくしか方法はありません。

そのために最大限に活用すべき史料が「おもろさうし」であり、その理由は19世紀以前の文献のなかで「おもろさうし」が最も漢学の影響を受けていない古いりうきう社会の実相を伝えてくれる最良のテキストだからです。

だからといって現在の阿麻和利のイメージが無価値なものとは思えません。阿麻和利という存在が時代を通じでどのような形で社会に受け入れられたかを知る貴重な情報を全否定したり、「正してやる」などとイキるはハッキリってバカのやることです。それゆえに当ブログでは偉大なる伊波先生によって唱えられた阿麻和利の英雄像が現代にもたらした影響を最大限に尊重しつつ、漢学イデオロギーを取り除いた “あまわり” を再構築していく予定です。

次回からは本題にもどりまして、「勝連」について言及します。