前回の記事において、ブログ主は阿麻和利の呼称について、俗名ではなく「聖名」であると仮定しましたが、今回は古代りうきう社会における権力者の「聖名」について説明します。
その前に対語である「俗名」ついて言及すると、政治など日常社会において使用された権力者の呼称であり、例えばりうきう王の場合は按司添〔aNzi=?uşii:ア”ンジ・ウ”スィー※:按司たちを統べる主の意味〕や御主〔?usjuu:ウ”シュウ〕などがあります。そして俗名なので支配下の住民たちも使用しても差し支えありません。
※「沖縄語辞典」をベースに発音をひらがなで表現しましたが、後日訂正する可能性あります。なお「ア”」など母音に濁点が付く場合は「声門破裂音」であり、りうきう方言では通常の母音と明確に区別します。
それに対して「聖名」は、年中行事などの祭祀の場において、女神官や詩人(口正しさある者)たちが権力者を讃えるために用いた呼称であり、非日常の場で使用される名前ゆえに、一般住民が用いることはおそらく禁止されていたであろうと考えています。
りうきう王の神號も「聖名」の一種であり、例えばおもろさうしには尚真王の聖名である〔?uzagamui:ウ”ヂャガムイ〕が数多く登場します。ただし、ここでは15~16世紀よりも前に唱えられた興味深いオモロを紹介しますので是非ご参照ください。
(一二ノ二〇) 君がなしが節
一 恵祖の軍もい、月の数、遊び立ち、十百年、若てだ、囃せ。
又 意気地、軍もい、(一節二行目から折返、以下同)
又 夏は節供酒(せくき)、盛る。
又 冬は御酒、盛る。
参考までに、鳥越憲三郎著「おもろさうし全釈」の大意を紹介すると、「①② 勇気ある恵祖城の軍もい(人名)よ、月ごとに歌舞にふけって、いくとせも年若い城主を囃せよ。③④ 夏も冬にもお酒を飲ませる、……」です。ただし鳥越先生は「いくさもい」を(人名)と解していますが、正確には「聖名」です。
このオモロは若き日の英祖王を指しており、(おそらく)伊祖城で行なわれた祭儀の場で巫女たちによって唱えられたと考えられてますが、そうなると13世紀あたりから地域の権力者たちは「聖名」を持っていたことの傍証となります。
そしてこの聖名は一代限りとは断言できないこと、地方からよりレベルの高い権力者になった場合は別の「聖名」が付与されるケースがありえることを示唆しています。なぜならりうきう史の通説によると1260年に即位した英祖王の神號はてだこ〔tidaku:ティダク〕であり、英祖の後に伊祖地方を統治した人物が「いくさもい※」を継承した可能性が否定できないからです。
※余談ですが、いくさもいは現代後に意訳すると「たっくるさー様」であり、あまわり(天降り)と違い日神を始めとする神と関わりの薄い呼称なので、伊祖城を根拠にした権力者のステータスの低さを示しているかとも推察できます。
それらを踏まえて「巻16 勝連・具志川おもろ御さうし」に登場する「あまわり」を考察すると、この名称は明らかに「聖名」です。しかも神との関わりを感じさせるレベルの高い呼称なので、「あまわり」は強い権力を有していたと推察できます。次回は「あまわり」の名称についてブログ主なりに考察します。