オワコンになった “辺野古新基地反対運動” の末路

先月28日、名護市安和港で起こった「事故」に関して、前回の記事にて知事談話について言及しました。確かにいろいろツッコミどころ満載のコメントを発表した玉城デニー知事でしたが、彼自身は事故に対して強いショックを受け、それゆえに “痛みと悲しみ” を共有したいとの意思を感じ取ることはできました。

これに対し、事故に対するオール沖縄会議のコメントは酷いの一言でしたので、関連動画とコメントの書き写し全文を紹介します。読者のみなさん、是非ご参照ください。

(動画1分27秒から)県民投票でNoと県民は答えを出しているんですけれども、
軟弱地盤の問題だとか、色んな問題があるにもかかわらず、
それを強行してやる、
工事のプロセスのなかで、
こうやって人が命を失っていくのは
とても残念だし、本当に悔しい限りです。

ちなみにこのコメント、「辺野古新基地反対運動は県民の “民意” にも関わらず、工事は強行され、その過程で事故は起こったんだ」と述べており、「工事を止めることができなかった自分たちのふがいなさ」に言及している点が注目されます。それはつまり、今回の事故の責任は工事を強行する国にあるが、止めることができない自分たちにも責任の一端はあるとの認識を示したわけです。

誤解を恐れずにハッキリいうと、「自分たちは悪くない、だが(われわれの)力不足が今回の事故を招いた」と糸数代表は言いたいわけですが、さすがに事故の原因すべてを「他責」にするには気が引けるレベルのショックを受けたというのが本音でしょう。

だがしかし、この談話の致命的なところは、

被害に遭われた警備員に対して、哀悼の意を感じとれない

点につきます。知事談話のように「お亡くなりになられた警備員の方のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族に心から哀悼の意」のコメントを添えることすらしない、それができない “何か” がオール沖縄会議にあるのではと思わざるを得ません。

参考までに、ブログ主は糸数代表のコメントを聴いた瞬間に、昭和46年(1971)11月10日に起こった “返還協定反対デモ” の際に警察官が過激派に殺害された事件に対する復帰協や県労協のコメントを思い出しました。彼らは殺人事件を起こした過激派学生は、デモとは「無関係」であることを強調し、警察官殺害後の琉球警察の「過剰警備」を強く批判していましたが、彼らの言動からは死者に対する哀悼の意を感じ取れないのは、今回のケースと同じです。

辺野古新基地反対運動は、去年の最高裁判決を巡るドタバタで「終わり」が見えてきた感がありますが、今年の県議選で玉城知事を支える県政与党が「辺野古」を選挙戦の焦点にしなかったことと、そして今回の事件における抗議活動家、およびオール沖縄会議のコメントから、運動自体が “オワコン” になった件を確信できました。つまり、

他者の痛みを分かち合おうとしない個人や団体からは、ヒトはカネは離れていく

というのは歴史の鉄則であり、おそらくオール沖縄会議は復帰協と同じ末路を辿ると思われます。そして、共感能力に欠ける連中に限って、

米兵の犯罪に対してやたらに憤っている

沖縄の現状を、冷ややかに見つめながら今回の記事をまとめた次第であります。