尚泰候の決断 – 番外編

これまで「尚泰候の決断」と題して、真面目な歴史記事を4回に分けて配信しましたが、今回は番外編としてりうきうの王家・王族、そして上級士族の一大特徴である “二重思考” について言及します。

既に当ブログにおいて二重思考は「相異なる思想信条を持ち、そして両方とも正しいと信じる行動様式」と定義しましたが、改めて史料をチェックすると、偉大なる伊波普猷先生が「古琉球」のなかで、慶長の役(1609)以降のりうきう人の言動を「二股膏薬主義」の表現で二重思考に言及しているあたり、結構根が深い問題のように思われます。

りうきうの二重思考の原点は慶長の役以降の「日支両属」、すなわち「ちうごくを父、ヤマトを母」として仕えることを強いられた歴史的経緯から発しているのは間違いありませんが、これが王家・王族、そして士族たちの「習い性」となってしまい、有事の際の国政に大きなゆがみを生じてしまったのは極めて残念なことだと言わざるを得ません。

試しに、「尚泰候の決断 その3」で紹介した亀川一派の行動様式について詳しく説明すると、彼らは漢学(朱子学中心)で教育を受けた世代なので、「王命を遵守する」ことは当然の倫理ですが、ただし「国の根幹を危うくする決定」に関しては、たとえ王命であろうと抵抗することに何ら疑問を抱いていないのです。

つまり①王命は遵守すべきと②状況によっては王命は背いても構わない、との2つの相異なる思想信条を抱いており、しかも両方とも正しいと信じているのです。まさに二重思考の特徴の一つである「二つの思想信条に優先順位は存在しない」を地で行く行動様式であり、明治8年(1875)9月7日の亀川一派が中心となって引き起こした騒動は、その根本には彼らが無意識のうちに抱えている二重思考があったからなのです。

これによりて、これを見れば、二重思考は政治の世界からは可能な限り排除すべきであり、有事の際にはこの思考パターンが国家に致命傷をもたらす危険性がある、との歴史的教訓が読み取れます。だがしかし、廃藩置県後の我が沖縄ではこの教訓が十分に生かされていないようにも見受けられます。具体例を挙げると、

最高裁判決を無視し、かつ県庁職員に対して「法律を遵守しましょう」

と唱える沖縄県知事が現に存在し、しかも一部有権者や既存マスコミから熱烈支持されている時点でお察しなのです。

ではなぜこんなおバカなことが現実に起きたのでしょうか。その原因のひとつに現代の沖縄の歴史学が「沖縄差別を証明するための学問」に成り下がった点を指摘しておきますが、ハッキリいって現時点ではいかんともしがたい状況でもあるし、

玉城デニー知事の「身の安全」を確保するためにはやむを得ない

と割り切って対応するしかないのが実状です。

最後に、りうきうの二重思考は興味深いことに、旧革新政党の支持者、そしてりうきう独立を唱える輩たちに色濃く引き継がれています。とくに独立論者たちは「りうきうはヤマトから差別待遇(植民地的支配)を受けている」ことと「ひとりの日本国民として三大義務を果たし、日本国の国力に寄与している」との、いわゆる「差別されている自分」と「(日本の国力に寄与しているがゆえに)差別に加担している自分」の存在に何ら矛盾を抱いていません。

彼らが尚家や王族に対してどのような感情を抱いているかは不明ですが、ブログ主は独立芸人こそりうきうの二重思考の正統後継者であると確信して、今回の記事を終えます。