ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その28

□中野サンプラザでコンサート これは東京でデビューするときの話です。

一九七七年八月にはじめて「中野サンプラザ」でデビューコンサートしたとき、蛇を食いちぎるバンド、ステージに女の人を上げてレイプするバンドとか、男のチンチンを切るバンドとか、鼻からタバコ、ビールいろいろ、とにかくたいへんだといって、ハードロックの超ハードロック、日本、東京上陸と週刊誌にも報道陣にもう騒がれ過ぎるくらい騒がれました。

ですから、それなばと「シンキ・エー、ワッター・サンプラザ・ティ・デビュー・ドォー・ヤー(おいシンキ、俺たち中野サンプラザでデビューするんだよな)。ヤー・テー(お前は)サンプラザの天井からよ、まっ逆さまに白い衣装を着て鶏の白い羽と一緒によ、ヨンナー・グヮー・チブル・カラ・ウリティ・クー・ドォー(ゆっくりと頭から降りてこいよ)」とシンキにいったら、あの中逆吊りはけっこう高いので「イー(へぇ)、頭からね」とびっくりしていました。

「ベース、ヤーヤ・ヨ(お前な)人間まな板ヤー。上半身裸になって客席を見ながら瞬きひとつしないでよ。こんなしてむこうの左から右にさ、見えない針金でヨーンナー(ゆっくり)引っ張るから、自分のベースアンプのところに来るまで絶対に瞬きするなよ」とベーシストにいうと、「カッちゃん、しないよ。絶対するか」といっていました。

「ドラマー、お前は棺桶。ドラムの側に棺桶置いておくから、この棺桶が開いてパタンって前に倒れるから、そしたらお前ドラムのここでこうやってるから」といってやったら、このセットがさ一曲目かが始まる前に一時間かかったんですよ。

だって、むこうはこのバンドは日本のバンドじゃないと思っていて、私たちのことを外タレ(外人タレント)扱いしているんです。

それで、外タレイベントとして扱ってくれるので、セットの打ち合わせも「じゃあね、一歳の子どもを一人準備してくれない。幅一メートル、長さ一〇級のハブを高さ二メートルぐらい上まで、これを三回ぐらい岩に巻いているのを左側に作って準備してくれるように。それと棺桶ね、しかもドラキュラのそれこそもう一番古い棺桶という感じの。で、まな板はベースが寝るものだからものすごく頑丈な木の黒いのでいいよ、あのタイヤにつけて引っ張るから、リハーサルに」といってリハーサルにも用意させたんです。

まず台風の音がワーッと鳴って真っ暗になって、そして知らぬ間に緞帳(どんちょう)が上がっているわけです。それから(スポットライトを当てると)、真っ暗なステージのど真ん中に、ステージの一番前で剣玉で無邪気に遊んでいる小さな一歳の男の子が一人でいるわけです。

それから、スポットライトをピーンと8の字型にやったら、ここにハブがいるわけです。ハブのなかは空洞になっていて私が通れることができるんです。これは二メートルから二メートル五〇センチの高さで口を開けているんです。これの目が、スポットライトでパッと青く光ったときにドライアイスがファーと出てきて、この中からインドの衣装みないなのを着た私が、一回転して頭から落っこちて出てくるわけです。

そして私が立ち上がったら、むこうからベースがゆっくりまな板に乗って、ベースをアンプ側に隠して置いてあるから、むこうからこっちのアンプの側まで、瞬きするなよっていってあるから客席を睨みつけながらやって来て、それで膝をつきながら歩いていってドラムのところに来ると、パッと見たら頭をおさえてグゥーッってやっているわけです。

そしたら、ドラムの棺桶の蓋がパタッと開いて、ドラムともうちょっと歩いて行ってやっと立ち上がったと思ったら、すぐに天井を見て、そして鶏の羽と一緒に真っ白い衣装でシンキが逆さま釣りで天井からゆっくりと降りて来るわけです。

これが全部子どもの後ろで行われていて、その子どもに私が気づいて舞台の端まで追っかけて行くと、ここの幕に消えたところに舞台袖にマイクが準備してあって「ギャー」と私の叫び声が鳴るわけです。そしたら、子どもがでっかい鎌を持って私を追っかけてステージに出てくるんです。普通なら私が子どもの首を絞めて殺すみたいですが、子どもが大きな鎌を私の背中に突き刺して、私は這ってむこうの幕まで行くんです。

それから、メンバーが立ってすぐに楽器を設定していて、ガガガガガガガガと音が出ているわけです。

これを準備させるときに、いろんなスタッフがいたんだけど

「こんなロックバンドってあるね、一曲が始まるまでに一時間近くかかった」

といっていました。

それで、始まったら、今度はみんなで「記者ポッポ」をやったら、釜二つ持って、蛇二匹持って、風呂敷だけ巻いて出てくるわけです。それからはもうパニックです。

一番後ろのむこうの壁にくっついている夫婦の赤ちゃんを私がだいて、まっすぐステージに上がってきて、この赤ちゃん私の顔だけ見ているわけです。ずっと顔を見て、泣きませんでしたよ。

そのとき、この夫婦は「ああああ」と慌てていましたよ。私たちのことを「信じてはいた」といっていましたけど、「何がおこるかわからんステージだから」と心配だったわけです。

その時の赤ちゃんが大きくなって、最近、沖縄に訪ねにきていました。