ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その26

□軍のブラックリストに載る 私たちがコンディショングリーンの時に、日比谷野外公会堂でコンサートをやったのは、復帰後じゃないですかね。

私はヤマト(本土)で考えられないようなことをやっているから、いろんなことやってきて覚えてないですよ。私は那覇市民会館や内地の日比谷(野外公会堂)での演奏はだめなんです。使用許可がおりないですよ。

私もまた、嘉手納基地のコンピューターのブラックリストにも、この男、要注意人物、これは共産党か何かわからん。わざと基地の中を乱そうとしている。これは赤(共産党員)かもしれない、と載っているんです。

なぜリストに載ったかというと、一九八〇年の前半ごろ嘉手納エアメンズクラブ(嘉手納基地の中にあるクラブ)で演奏したときに、たまたまそこのマネージャーがカントリーミュージックの好きな人でロックの嫌いな六〇歳ぐらいのおじいちゃんだったのです。それで、セッティングしている最中から「これなんね」。「これ、スピーカー」。「これは何、これ、この大きいの」、「これミキサー」。というふうにそのマネージャーの質問に私たちは答えていました。そして「これ音出したらだめよ」というので、私は「いや、これは出さんとだめよ。これはここで、ボーンと出すよ」といったら、マネージャーは「だめ、No No No No」と、やる前から「これみんな片づけなさい」というんです。それで、私は「はあー?、まだ音出ないさー」と、受け答えしているわけです。

お客は満杯しているわけですが、「これはね、話ができるぐらいの音をやらないとだめだよ」というので、こちらは「話はできるよみんな。おい、みんな話できるだろ」と客席に聞くと、みんなはボンボンやっていて「OK、話できる。最高、もっとボリューム上げろ」といっているんです。そしたら、彼は音量測定器というのを持ってきて「You Know こっちから針がオーバーしたらお前たちこの嘉手納基地で絶対仕事させないよ」というのです。

それで私は「OK、じゃあここまで落とせばいいんだな」と承諾してやったのに、そのとき「PA会社」のミキサーのエンジニアが、三日連続でその最終日の四ステージの終わりの後ろから三番目の曲で我慢できなくなって、音量を上げてしまったんです。しかし、プレーヤーには、むこうにスピーカーがあるので、聞こえないんです。それで、私には音の大きくなったことがわからなかったんです。

そしたら、マネージャーが出てきて演奏を中止させたので、私は「何ね、同じよ。大きくないでしょ。私はあんたがいったのを守って同じ。あれから上がってない」といって、客席にも「エーイッターうるさいか」と聞いたら、みんなも「うるさくない」というんです(続く)。