今月4日の沖縄タイムスをチラ見した際に、気になる内容のコラム(大弦小弦、記者の眼)が掲載されていましたので、ためしに全文を写本してみました。ブログ主は特に関心を覚えなかった南城市長のセクハラ疑惑に関する案件ですが、大弦小弦の内容が余りにも香ばしかったので、ついうっかり考察記事を作成しました。読者のみなさん、是非ご参照ください。
結論を先に申し上げると、この案件に関する沖縄タイムス社の記事は、南城市の古謝景春市長にセクハラ行為を受けたとして、元運転手の女性が市長を提訴した「事実」と、南城市の古謝景春市長が元運転手の女性に対してセクハラ行為に及んだ「事実」の区別が実に曖昧なのです。というもの、古謝市長のこの件に関する言動が思わぬ方向に一人歩きしてしまい、それを踏まえた上で沖縄タイムスの記事を読むと、なんとなく「セクハラはあった」との印象を覚えてしまうからです。
今回のスキャンダルに対する古謝市長の対応について、記者個人の見解として、たとえばSNS上で「セクハラを告発した女性を攻撃し続けている。 仮に真相究明をいったんおくとしても、これらの言動だけで辞職に値する。全体の奉仕者である市長の資格がない(阿部岳)」との “お気持ち” を表明するのは、あくまで言論の自由の範疇なので問題はありません。
ただし記事にする際は、セクハラがあったと告白した「事実」とセクハラ行為は「事実」であるの区別は厳密に行なうべきなのです。実際に今月4日の沖縄タイムス1面の大弦小弦と、5面の「記者の眼 南城ハラスメント問題 市役所内に実態解明阻む壁」を読むと、女性の告発は「事実」であり、市長の権力が実態解明を阻む壁になっているとの印象を読者に与えてしまいます。なお、この2つの記事は署名記事ですが、編集局が掲載に値すると判断している以上、沖縄タイムス社としてもこの案件における古謝市長は “クロ” と判断しているかもしれません。
ではなぜこのような編集方針のもとに記事を掲載したのかを考えてみたのですが、答えは簡単で
この方が読者受けするから
で間違いないでしょう。つまり、沖縄タイムスの購読層はセクハラを告発した「事実」とセクハラの「事実」を混同して、権力者のスキャンダルに飛びつく人たちなんですと編集局がアピールしているようなものなんです。そして、
この有様では年々紙面が薄くなっていくのもやむを得ないな
とブログ主は痛感した次第であります(終わり)
【追記】3月4日付大弦小弦に関して、右側に石田純一似(もちろん別人)の男性の広告写真が掲載されているセンスになぜかじわじわきたブログ主であります。