□コザ事件のとき コザ事件(一九七〇年一二月二〇日)が発生したときに、私は胡屋十字路の陸橋近くにあったアスターハウス(今のケンタッキーフライドチキン)で明け方までライブをやっていたので、気づかなかったんですよ。
それからライブが終わって、ライブハウスの二階からだったんですけど、チビとかみんなが「エーエー(おいおい)、車が燃えているよ」というので見てみると、「あれ、すごい。やるじゃないか」と思ったんですよ。でもそのころはもうピークを過ぎていました。
そのとき、私はずっとライブを夢中でやっているので、わかりませんよ。(仕事を)休んでから行くわけにもいかんさーね。ですから、私は現場には行っていません。
□ “コンディショングリーン” の由来 「コンディショングリーン」というバンド名は、コザ事件のそれをヒントにつけたというよりも、台風のコンディショングリーンからなんです。
これは軍事用語なんですが、コンディショングリーンが発令されると、ベース(基地)も全部ストップするし、すべての機能がストップするんです。沖縄中のAサインがストップするんです。危ないといって台風が来る前からそうなんです。
沖縄に台風が接近したら沖縄全島のAサインバーが全部閉まるわけですよね。すると、私たちも仕事がなくなるんですよ。それで、「これデージ・ヤッ・サー(たいへんだな)、このコンディショングリーンというのは」と思っていたわけです。
それから、私たちはよく西表とか離島に行ったりするんですけど、そのときに台風が来て、またコンディショングリーンというから、ワッター(私たちは)また西表で二週間ぐらい足止めされて、それでお金もなくなって
農場試験場から野菜を盗んで食べたこともあったんです。
この後「コンディショングリーンというのはデージ・ヤッ・サー(たいへんだな)、これは人間を変えてしまうヤッ・サー。ディッ・カーこのバンド・タッ・クヮー・サ、ワッター名前に(さあ、この名前を俺たちのバンド名にしよう)。
ムル・ヤナ・カーギー・ヤシェー・ワッター・ヤ、ニア・トォー・サ
(みんな顔が悪いから俺たちに似合っているよ)」といってね、この名前をつけたんです。台風戒厳令というのか、警戒警報というのか、もう危ない、とにかくこれ非常事態だから皆の衆トゥルバ・トー・ケー(おとなしくしていなさい)という感じです。
□本土復帰の意識 復帰前の余韻があって、社会に適応しているかしてないかということは、私もそうだけど、あまり本土復帰という意識がないから、その境目が私たちミュージシャンにはないんです。そのままずっと、復帰前のほうがけっこう重たくて、こうしてやってきているわけですから。