閑話 右翼とウヨク、左翼とサヨクを分かつもの その1

平成28年(2016)5月19日に当ブログを運営してから、おかげさまで本日(平成29年2月7日)掲載記事数が200を突破しました。琉球・沖縄の歴史という地方史メインの内容のため、当初は訪問者数も少なかったのですが、コツコツ記事を掲載していくうちにアクセス数も順調に伸びてきて、本日200記事を掲載することになりました。今回は節目ということで、以前から気になっていた「ウヨク」「サヨク」の問題について記事を掲載します。

その前に、現在の沖縄県において「ウヨク」がどのように認識されているかと考えると、おそらくアメリカ軍の占領行政の時代(1945~1972)に、戦後世代(1945~1972生まれ)が醸成した価値観に反対する人たちを一括して「ウヨク」などと定義している状態です。具体的には「反戦平和」「基地反対」、あるいは「うちなーのことはうちなーんちゅが決める」など、県内2紙や旧革新勢力の主張に賛同しない勢力に対して「ウヨク」「ネトウヨ」などのレッテルを貼っていると言っても過言ではありません。

ハッキリ言って、自分たちの価値観に賛成しない人たちを貶めるために「ウヨク」のレッテル貼りをしているのです彼らはきわめて単純な理由で他者をウヨク呼ばわりしている状態ですが、では「ウヨク」とは何か、旧革新勢力やその主張に賛同する人たちは一度でも真面目に考えたことがあるのでしょうか?答えは否です、だから上記のようなアホらしい理由で自分たちの主張に反対する人たちに「ウヨク」だのレッテルを貼って自己満足に浸っている真に残念な状態なのです

しょうがないので、ブログ主が調子に乗って「右翼」と「ウヨク」、そして「左翼」と「サヨク」の違いについて考察します。今回の考察においては先ず「右翼」とは何か?からスタートして、それがなぜ「ウヨク」あるいは「サヨク」に変質していったかを探求します。ベースになる思想は平泉澄教授の「少年日本史」で、明治時代以降に形成された「天皇陛下の前では日本人はすべて平等」という発想、その考え方に反発する形で「左翼」が誕生した流れで記事を掲載します。(続く)

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