あいろむノート – アメリカ世時代の犯罪統計を再チェックした結果

前回の記事で、「あいろむチェック」と題して復帰後の米軍人・軍属による犯罪発生件数について考察しましたが、その際に蒐集したデータを基に、今回はかつて公開した「我が沖縄社会の犯罪統計を調べてみた結果」のセルフ検証記事をアップします。

ちなみに、令和02年(2020)1月20日にアップした同記事は “現代の史料” を基にアメリカ世時代の犯罪発生率を算出しましたが、今回は琉球警察が編集した犯罪統計を利用して改めて犯罪発生率を算出しました。なお、参照した史料は以下の通りです。

・犯罪統計:「琉球警察統計書 1959年(警察局)」「琉球警察統計書 1966年(警察局)」「琉球警察統計書 1971年(琉球警察本部)」

・人口統計:「沖縄要覧 1968(琉球政府)」「昭和46年度版 沖縄要覧(琉球政府)」

・犯罪発生率は「犯罪発生件数」を「人口」で割り、×100で算出。

つまり、当時の史料を使って改めて算出し直したわけですが、結論を先に申し上げると「大きな誤差」は認められませんでした。ただし「小さな誤差」はありましたが、その理由は人口統計がアメリカ世当時と現代史料では微妙に違っていたからです。

そして今回の再検証では「検挙率」を省いて、あらたに「凶悪犯」および「凶悪犯(殺人)」を追加しました。追加した理由は、前回の記事を作成した時点で、凶悪犯データの検証の必要性を痛感したからです。まずは令和02年(2020)1月20日に公開した表を再掲載します。

※検挙率を省いた理由は、令和02年に作成したデータと、アメリカ世時代の史料に掲載されていた検挙率に大きな誤差がなかったからです。

そして、今回新たに作成した表がこちらです。

今回、改めてデータを図解して印象的だったのが、凶悪犯の増加です。犯罪発生率は、昭和38年(1963)の2.01をピークに減少に転じますが、凶悪犯は昭和26年(1951)から昭和43年(1968)にかけて右肩上がりしており、犯罪発生件数に占める割合も増加傾向にあります。

そして何よりも驚いたのが殺人件数の多さで、特に昭和37年(1962)の41件、昭和42年(1967)の55件には “絶句” です。それはつまり、(たとえば)昭和42年は約7日に1件の割合で殺人事件が起こっていたことを意味しますが、

人ってこんなに簡単に殺せるものなのか

と史料をチェックしつつ自問自答した次第であります。

前回と今回のデータを比較した結果、令和02年にアップした記事に記載の検証内容には特に変更を加える必要はありませんでしたが、改めて教公2法阻止闘争(昭和42年2月24日)の結果、大量の警察官の退職者が出た影響が犯罪統計に色濃く反映されていることを痛感しました。

それともう一つ、沖縄ヤクザ関連について言及しておくと、アシバーたち存在がりうきう治安を大きく悪化させたのではなく、社会全体の殺伐とした雰囲気がアシバーたちに影響を与え、結果的に第一次から三次沖縄抗争が起こってしまったと明記して今回の記事を終えます。

【追記】アメリカ世時代の米軍人・軍属による犯罪発生率は琉球警察のデータ(1967~1968)で算出した限りおよそ1.8であり、琉球住民より高いことが分かりました。ただし5年間のデータおよび軍人・軍属の正確な人口が不明なのであくまでも参考データとして取り扱いますが、印象的なのが発生件数に対する凶悪犯の多さ、特に強盗が凶悪犯の8割を占めている件です。(なお、殺人と強姦は意外に少ない)。