ここ数日、ブログ主は昭和47年(1972)12月の新聞記事をチェックしています。復帰前後のりうきう・おきなわ社会の様子を推察するには、やはり公開情報、とくに “社会の本音” が伺える事件を重点的に調べていますが、その過程で我が沖縄における「基地問題」の変遷について思いつきましたので、今回試しに記事にまとめてみました。読者のみなさん、是非ご参照ください。
実は基地問題は時代によってその性質が異なりますが、最初の問題はサンフランシスコ講和条約が発効された昭和27年(1952)年4月28日以降、これまで米軍が接収して利用してきた土地に対して「賃貸契約」を締結する際に発生したトラブルです。この件については「当間重剛回想録」との最高の史料があるので経緯を把握しやすいのですが、琉球住民の(米国民政府に対する)不満を大雑把にまとめると、
1.すでに接収された土地の賃貸料があまりに安すぎる。
2.にも関わらず新規で土地を接収されるのは勘弁してほしい。
になります。ただし、この問題は昭和33年(1958)11月に決着します。詳細については割愛しますが、つまり当時の基地問題は「土地の賃貸問題」であり、最終的に琉球住民が満足する賃貸料が獲得できるようになったことで、(当間重剛さん曰く)円満解決の運びとなりました。
※ちなみに円満解決になった一番の理由は、地主たちのほとんど(当間さんによると九割)が10年前払い、9年前払いの長期希望者であり、彼らに対して満足な賃貸料が支払われたからです。なお、前払い希望が多かったのは、緊急にカネがほしい小地主が多かったからに他なりません。
次に、昭和33年11月をもって「土地の賃貸問題」としての基地問題は解決しますが、昭和43年(1968)11月10日の琉球政府主席選挙で「即時無条件全面返還」を公約に掲げた屋良朝苗氏が当選したことにより新たなトラブルが発生します。屋良氏を推した革新政党および支持団体は公約通り米軍基地を撤去した上での「本土復帰」を熱望していましたが、実際には「施政権返還」を最優先に復帰交渉が進められたことで、屋良主席&琉球政府と支持団体の間に軋轢が生じます。
実は「即時無条件全面返還」の解釈について屋良朝苗氏と支持者との間に “ズレ” があったのですが、それを埋め合わすために琉球政府側では「復帰の際は平和憲法が適用され、これまでのような差別待遇ではなく、本土同胞と同じ権利が得られる。それに伴って米軍基地問題も解決される」との論法で支持者を(無理やり)納得させ、昭和47年(1972)5月15日の祖国復帰の日を迎えます。
「日本国憲法が適用されれば基地問題も解決される」なんて方便を支持者がどこまで信じていたか今となっては知る術ありませんが、タイミングが悪いことに復帰直後、ベンジャミン事件(昭和47年9月20日)とドイル事件(昭和47年12月1日)との凶悪事件が立て続けに起こったことで、沖縄社会において
米軍基地が諸悪の根源
という認識が広まってしまったのです。
※ちなみにベンジャミン事件(昭和47年9月20日)とはキャンプハンセン内で従業員の沖縄県民(男性)がベンジャミン上等兵(当時25)に射殺された件であり、ドイル事件(昭和47年12月1日)はコザ大衆サウナ・バス(トルコ風呂)で女子従業員がドイル二等兵(当時19)に絞殺された件で、復帰後の沖縄社会に大きな衝撃を与えました。
確かに復帰前後の事件・事故をチェックすると、復帰後に「米軍基地が諸悪の根源」との認識が社会に広まったのは理解できます。参考までに米軍人・軍属のやらかしで最悪なのが昭和43年以降ベトナム帰還兵たちが持ち込んだ「おクスリ」であり、それによって琉球社会に麻薬が蔓延し、過去に例をみないレベルで中毒者が発生してしまいます。
つまり、復帰して日本国憲法が適用されたにも関わらず「現状は変わらない」という失望感が現在まで続く「基地問題」の根底にあるのです。
最後に現代の「基地問題」についても言及します。復帰前後は確かに「米軍基地は諸悪の根源」との命題は強い説得力を持ちましたが、令和の今日でもこの命題を絶対視して「基地問題」を訴える輩が一定数います。具体的には「米軍基地が諸悪の根源」に都合のいい事実のみを強調することで、命題の正しさを証明しようと躍起になっていますが、その手の人達は「昭和とは時代が違う」ことを理解できないのです。
しかも理解できないならまだしも、昭和のノリで米軍人や軍属相手にヘイトスピーチまがいの罵声を飛ばして恥じない有様です。もちろん、基地を抱えるが故の問題に真面目に取り組む人達もおられますが、現実には「米軍基地は諸悪の根源」との命題を証明するあまり、頓珍漢な言論に終始する輩の存在が我が沖縄のイメージを大きく損なっている事実は見逃せません。それ故に令和の「基地問題」は昭和の時代と違って、
基地外問題
堕してしまったと、ついうっかり余計なことをつぶやいて今回の記事を終えます。