3年前の令和02年(2020)、「平和教育の致命的な欠点」と題した記事を掲載したところ、予想の斜め上を行く反応がありました。3年後の今日に改めて該当記事を読み直しつつ、今回は別の視点から沖縄の平和教育の “原点” について考察します。
ご存じの方も多いかと思われますが、沖縄の平和教育には際立った特徴があります。それは「軍事基地があるから戦争に巻き込まれる」との命題を証明すべく、沖縄戦の悲劇を語り継ぐスタイルが確立している点です。この命題についても当ブログで言及しましたが、ではなぜ我が沖縄ではこのような方針で平和教育を行われるようになったのか、この点について深く考える人はあまりいないかと思われます。
結論を先に申し上げると、
我が沖縄における自衛隊配備を阻止するべく
「軍事基地があるから戦争に巻き込まれる」のお題目を強調するようになったのです。
実はアメリカ世時代は、教育現場において平和教育を熱心に行っていたとはいえない状況でした。当時の教育現場は、来るべき復帰にそなえて日本国民を育成すべく、日本語教育の推進が最大目標だったのです。なので当時の人達は私たちは日本人であることをアピールするべく、思いっきり日の丸を振っていたのです。
沖縄戦については、「鉄の暴風 現地人による沖縄戦記(朝日新聞社)」を参照にするとよくわかりますが、アメリカ世時代は “沖縄戦の実相” を伝えることが最大目標であり、余計な主義・主張はなるべく織り交ぜない方針だったのです。ただし、その流れが変わったのが昭和47年(1972)の本土復帰交渉において、米軍基地を残したまま施政権を(日本に)返還する方針が固まったことと、自衛隊配備が決定的になったあたりからで間違いありません。
ハッキリいって、我が沖縄の平和教育の “原点” は昭和20年(1945)の沖縄戦以後ではなく、昭和47年(1972)なのです。しかもどす黒い感情が入り混じった “原点” なのです。それはつまり、日米安保反対、米軍基地の完全撤去、そして何よりも自衛隊の沖縄配備阻止の世論を盛り上げるべく「軍事基地があるから戦争に巻き込まれる」との命題を大々的に主張し、そして戦争の悲惨さを強調すべく
沖縄戦を最大活用するようになったのです。
言い換えると「沖縄戦の政治利用」なんですが、安保反対・米軍基地反対・自衛隊反対の人達にとっての大誤算は、自衛隊が予想の斜め上を行くスピードで復帰後の沖縄社会に受け入れられてしまったことです※。
※それはすなわち、自分たちが “敬して遠ざけられる立場” に追いやられたことを意味します。
ただし「軍事基地があるから戦争に巻き込まれる」の命題だけはしぶとく生き残り、現代においてもこのお題目を証明すべく沖縄戦を語り継ぐスタイルで平和教育が行われているのです。しかも沖縄戦だけでなく、現代の戦争もこのお題目の証明に利用しようとする傾向すらあります。
ハッキリ言うと、復帰後の沖縄社会は日米安保という絶対的な安全圏のなかで、日本国が提供するセーフティーネットに依存しつつ、”命題” を絶対的な正義を位置付け、それに合致する事実をペタ貼りして、平和を訴える自分に酔っている人たちを多く生み出してしまったのです。
そして、これが我が沖縄における平和教育50年の最大の弊害なんです。
今回はちょっと嫌な話になってしまいましたが、わが沖縄の平和教育の “原点” は、沖縄から軍隊を全面撤去させるために沖縄戦を利用ようとした “どす黒い感情” であることと、「軍事基地があるから戦争に巻き込まれる」の命題が独り歩きして、もはやどうにもならない現状についてまとめてみました。1990年代にこんなことを主張したら「平和の敵」との罵詈雑言の嵐が巻き起こること確実ですが、令和の今日では言論の一つとして受け入れられると確信して記事にまとめた次第であります。