ご存じの読者もいらっしゃるかと思われますが、昨日(22日)から、沖縄県浦添市の投稿動画が世間でとんだ物議を醸してしまい、同日松本哲治浦添市長が記者会見で釈明&謝罪する羽目になりました。そして本日(23日)付沖縄タイムス25面に、「浦添市動画 セクハラ批判」と大見出しの識者コメント付きで関連記事が掲載されていました。
この案件に関するYahooコメントをチェックすると、「ルールが変わったのです。ユーモアだからは通じないルールになってしまいました。市長だけでなく、市そのものがこうしたルール変更を理解していないということが問題です。(増沢隆太)」とあり、まさにその通りであって、つまり浦添市そして松本市長は次回から気を付けて動画発信していけば、今後十分に対処できる事案なのです。(沖縄タイムス紙上でもモバイルプリンス氏が同様の趣旨のコメントを発していました)
ただし、なぜこの案件が大ニュースになったかというと、松本市長が “でぃきや~(使える)” と浦添市民、および沖縄2紙の購編集局および購読者から認識されているからです。なぜなら、有能人士のついうっかりのやらかしは、その落差ゆえに社会的インパクトが大であり、そこに報道する “価値” が生じてしまうからです。ただし、今回の報道後も松本市長が有能であるとの社会的認識が変わることはなく※、ハッキリ言って、「次から気を付けれよー」で済む案件なので、市長の支持者は(この案件に対しては)涼しい顔して適当に流すのが一番です。
※それゆえに、沖縄2紙は(この案件で)松本市長の経歴に致命的なダメージは与えないと確信してちょっと大げさに報道したのです。
ところが、同じセクハラ案件でも “でぃきらんぬ~(使えない奴)” のやらかしになると話が変わってきます。それはつまり、もともと使えない奴が想定内通りのやらかしをしても、そこに “報道の価値” は生じないからです。その典型例が、昨年10月23日に行われた那覇市長選挙における翁長タケハル候補のセクハラ疑惑に関する報道です。改めてチェックしたところ、実に小さな記事で報道されていましたが、それはつまり
あぬひゃ~や・でぃきらんぬ~・やくとぅ(以下略)
と那覇市民、支援者、沖縄2紙の編集局、そして購読者の意思が一致していたため、(松本市長の案件とは比較にならない悪質事例も)あっさりとした報道になってしまったのです。
ちなみに、現在の県政もまさに同じ状況になっています。ただし ” でぃきらんぬ~” がちょっといい事をすると、それだけでニュースバリューが生じ、新聞ネタになってしまうとの面白い現象が起こってます。事実、玉城知事の国連演説に関する記事と、県庁の特別会計の違法状態案件の記事をチェックすると一目瞭然です。
これが “でぃきらんぬ~” の特権です。
ブログ主が案ずるに、玉城知事のいいところは “でぃきらんぬ~” に徹していることです。再選後の彼の動向をチェックすると、「辺野古新基地反対運動」を唱え続けることで、「沖縄社会の現状を維持してほしい」との有権者の本音に十分応えており、しかも「地域外交」という有名無実な功績を積み重ねることで適度に話題も提供してくれる、まさに “理想の知事” として君臨しています。
ただし、でぃきらんぬ~は万能ではありません。最大の欠点は「賞味期限」があることです。一例をあげると、去年10月の那覇市長選挙に落選したことで、翁長タケハル氏の政治家としての賞味期限は切れた状態になってしまいました。玉城デニー知事も、最高裁判断における「承認」あるいは「不承認」の選択が賞味期限になることは十分に考えられます。
ブログ主が気になるのは、翁長タケハル氏については(那覇市長選の結果を受けて)沖縄2紙が “賞味期限切れ” として容赦なくキレイさっぱり切り捨てましたが、玉城知事については「賞味期限が切れているのに、切れてない」って感じで彼の動向を報道するのではないかとの危惧があります。その点だけは注意深く見守っていくべきと思いつつ、今回の記事を終えます。