マヨネーズと沖縄

既にご存じの読者もいらっしゃるかと思われますが、7月あたりからブログ主は人生で初めてついうっかり “マヨネーズ” に目覚めてしまい、連日マヨネーズを使ったメニュー等を食べ歩いていました。その流れで我が沖縄におけるマヨネーズ食文化を調べてみたところ、意外な事実に気が付きましたので、当ブログにてショートコラム形式でまとめてみました。読者の皆さんぜひご参照ください。

意外なことに、沖縄におけるマヨネーズ食文化がいつ始まったか、明確な史料が見つからないのです。一例をあげると昭和58年(1983)に刊行された『沖縄大百科事典』にもマヨネーズの項目はありません。ただし高温多湿の沖縄の気候では、マヨネーズの保管には冷蔵庫が必須です。そのため戦前の沖縄社会では一般庶民がマヨネーズを食する機会は極めて少なかったかと思われます。

戦後になると、アメリカの食文化が沖縄に入ってきますが、その一つがマヨネーズです。ご存じの通り「EGGO」が琉球住民に圧倒的な人気を得ますが、ただしその用途は、オーロラソースなどのサラダ・ドレッシング、サンドイッチ、あるいはポテト・サラダ用であり、和の食材と絡めることはありませんでした。

※ちなみに「EGGO」は公式にはサラダ・ドレッシングですが、

沖縄ではいまもむかしも “マヨネーズ” 扱いです。

復帰後は「シーチキン」と絡めた「ツナ・サンド」が大ブレイクします。EGGOはシーチキンとの相性が最高なので、ツナサンドのレシピはあっというまに全沖縄に広まります。ただし、昭和から平成の初期までマヨネーズはあくまでも洋食限定であり、和食に絡める輩は “マヨラー” と呼ばれ、一種のゲテモノ食い扱いをされていました。

ところが平成にはいって、我が沖縄にもコンビニが進出するにつれて、食文化に “革命” がおこります。それは

ツナマヨおにぎり

ポーク玉子シーチキンマヨネーズ

の大ヒットであり、この二つの商品がきっかけになって、和の世界にマヨネーズが進出するようになったのです。

参考までに、昭和の沖縄ではおにぎりの具材は「梅」「油味噌」「アラ」などに限られていて、シーキチンマヨネーズを入れる発想はありませんでした。ところがコンビニでの大ヒットがきっかけになって、沖縄の総菜屋さんもおにぎりの具材にシーチキンマヨネーズを入れるようになったのです。

マヨネーズを絡めた食文化の定着にはコンビニが一役買っています。それはPOS(ポイント・オブ・セールス)という商品管理システムの導入で、ツナマヨおにぎりやポーク玉子シーチキンマヨネーズが沖縄の消費者に支持されたことを確信したコンビニ各社がこぞって新商品を投入した結果、沖縄に新しい食文化を定着させることになったのです。

そして現在では、おにぎりの具材だけでなく、(タルタルソースが劇的に進化した)チキン南蛮定食や、海老マヨ丼や豚マヨ丼といった、定食やどんぶり物にもマヨネーズが用いられるようになり、我が沖縄の食文化の幅が劇的に広まったのです。しかもそれだけではなく、平成に入ると

マヨネーズは “辺野古新基地建設反対運動” にも使用されます(下記引用MVを参照)

コンビニの商品のヒットがきっかけで、我が沖縄社会に “マヨネーズ” が定着した件に気が付いたブログ主は、明日もマヨネーズを使ったメニューを食べ歩こうかなと思いつつ、今回の記事を終えます。