琉球譯讃美歌の考察

前回紹介した「琉球語讃美歌 – 降誕(111)」について、明治41(1908)年12月25付琉球新報1面に発表された原文、および大正4(1915)年の「琉球語讃美歌及箴言」の初版に掲載された同歌をチェックしたところ、前回の記事で紹介したブログ主の意訳に一部誤りがあることが確認できたので、今回改めて考察記事を纏めてみました。

この度、琉球讃美歌の史料をチェックして痛感したのが、明治・大正期のうちなーぐちを理解するには、鎌倉や室町時代の古典文法の知識が必要であることと、方言はやはり和文では正確に表記するのが難しいことの2点です。幸いにも明治42(1909)の史料に同讃美歌のローマ字表記による方言記述を発見したので、これらの史料を元に、ブログ主なりに復元作業を行ってみました。

まずは、明治41年12月25日付琉球新報に掲載された、讃美歌降誕(67)の和文を掲載しますが、伊波先生はこの歌を元に琉球語に翻訳したと思われます。

右本歌讃美歌第六十七

一、御民の王なる御子は こよひぞあもりたまへる いざ友よベツレヘムに いそぎゆきてをがまずや

二、賎女を母となして うまれたまひにしきみは 王のきみまことの神 いそぎゆきてをがまずや

三、御神にさかえあれよと みつかひら こゑすなり 地なるひともたゝへつゝ いそぎゆきてをがまずや

四、とこしなへの御言葉は いまこそひととなりけれ この日をのぞみしものよ おのがさちをいわゝずや

※明治、大正期の史料では讃美歌(67)と表記されてます。

そして、伊波先生による琉球語訳を掲載します。

琉球譯讃美歌

一、御萬人の君の思子や こよひど天降めしやうちやる でかつれてベツレヘムに いそぎいきやいをがまね

二、人間(しぢや)の腹かてこの世に 生まれめしやうちやる思子や 君のきみまことの神 いそぎいきやいをがまね

三、御神あがめめしやうれてやり あまみやの人(しぢや)のうたゆん この世のしぢやもうたやり いそぎいきやりをがまね

四、いつもかわらぬい言葉や 今ど世界にあもりしやる この日お願しやる人よ などのしやわせほこらね

大正4年版「琉球語讃美歌及箴言」によると、一部漢字表記が変わっていることが確認できます。

第六番 降誕(六七)

一、御萬人(うまんちゅ)ぬ 君(ちみ)ぬ生子(うみぐぁ)や 今宵ド 天降(あむ)りみしよちやる デかツりテ ベツレヘムに 急(いす)ぢ行ちやい 拜まに

二、人間(シヂヤ)ぬはらかテ 此世に 生りみしよちやる 生子や 君の君 まくトぬ神 急ぢ行ちやい 拜まに

三、う神あがみ みしよりてい 天國(あまみや)ぬ 人(シヂヤ)ん歌ゆん 此世ぬ 人(シヂヤ)ん歌やい 急ぢ行ちやい 拜まに

四、永久(いつむ)變らぬ 道(いくとば)や 今(なま)ど世界(しけ)に 天降りしやる 此日うにげしやる 人ゆ 己(など)ぬ幸福 ふくらに

明治42年6月に刊行された「琉球文基督敎敎役者必携」に同歌のローマ字表記が掲載されてましたので書き写しをアップします。

1.Umanchu nu Chimi nu Umigwa ya

Kuyui du amuri mishocharu

Dika tsiriti Beturehemu ni

Isuji ichayi wugama ni

2.Shija nu hara kati kunu yu ni

Umari mishocharu umigwa ya

Chimi nu Chimi makutu nu kami

Isugi ichayi wugama nu

3.U kami agami mishori teyi

Amamiya nu shija nu utayun

kunu yu nu shijan utayayi

Isuji ichayi wugama ni

4.Itsi mu kawaranu ikutuba ya

Nama du shike ni amuri syaru

Kunu fi unige sharu fitu yu

Nadu nu shyawashi fukura nu

そして、これらの史料を元に、ブログ主による復元は下記ご参照ください。なお、修正箇所は青地で表記しています。

一、御万人ぬ君(ちみ)ぬ思子(うみぐゎ)や 今宵どぅ天降(あむ)りみしょちゃる でぃか連(つぃり)てぃベツレヘムに 急(いす)ぢ行ちやぃ拝(うが)まに

二、衆人(しじゃ)の胎(はら)かてぃ 此ぬ世に 生(うま)りみしょちゃる思子や 君ぬ君、真(まくとぅ)ぬ神 急ぢ行ちやぃ拝まに

三、御神(うかみ)崇み みしょりてぃ※ 天宮(あまみや)ぬ衆人(しじゃ)ぬ歌ゆん 此ぬ世ぬ衆人(しじゃ)ん 歌やぃ 急ぢ行ちやぃ拝まに

四、 何時(いつぃ)む変わらぬ 御言葉(いくとぅば)や 今(なま)どぅ世界(しけ)に天降り 此ぬ日御願(うにげ)しゃる 人(ふぃとぅ)ゆ 己(などぅ)ぬ 幸(しゃわし) 誇(ふく)らに

・思子(うみぐぁ)=いとしご。

・でぃか連りてぃ=いざ、友(連れ)よ。現在でも親密度の高い友人のことを「連れ」と呼ぶ。

・しじゃ=衆人。神に対する存在を纏めて表記したもの。なお、天宮ぬ衆人とは「天のみ使い」のこと。

・己(などぅぬ)=おのれの。

※「みしょりてぃ」だけは現時点で判読不明。「み(尊敬の接頭辞)+せ(動詞すの未然形)+り(助動詞りの終止形)+てぃ(終助詞)」の転訛と思われるが確信が持てず。ちなみに和文ではこの箇所は「栄えあれかし」と表記されている。

になりましょうか。今回の復元作業で一番苦労したのが、「今宵どぅ天降(あむ)りみしょちゃる」の一節で、意訳は「今宵ぞ天から降り給う」ですが、「どぅ」は「ぞ」の転訛、「しょちゃる」は「し(動詞すの連用形)+たる(助動詞たりの連体形)」の転訛で係り結びの法則で文章が構成されているのです。ということは、「おもろさうし」でおなじみの室町時代の日本語文法が明治・大正期の “うちなーぐち” に残されていたことを意味します。

なお、方言の文法解釈はハマると魔境に陥る感があるので、今回はここまでにしておきますが、琉球語讃美歌に和文の文法が使われてたことは、それはつまり、

りうきう独立芸人達には実に都合の悪い史料だな

と、余計なことを思いつつ、今回の記事を終えます。