今月4日のQAB琉球朝日放送のネットニュース “「しまくとぅば普及推進室」沖縄県庁に新設で看板設置「聞く・話す機会を創出しよう」” によると、沖縄県庁内に「しまくとぅば」の保存・普及に向けて県庁内に専任の部署が新設されました。
「方言」はともかく “しまくぅとば” には興味のないブログ主ですが、このニュースを見たブログ主は、県庁主導の “しまくぅとば” が普及しない理由に気が付きましたので、調子に乗って言及します。
備忘録として、記事全文を書き写しました。是非ご参照ください。
話せる人の高齢化などにより消滅の危機に陥っている「しまくとぅば」の保存・普及に向けて沖縄県庁内に専任の部署が新設されました。
沖縄県文化観光スポーツ部文化振興課に「しまくぅとば普及推進室」が新設されることに伴い、看板設置式が行われました。照屋義美副知事がしまくとぅばで職員を激励し、「聞いたり話したりする機会を創りだしていきましょう」と伝えました。
照屋副知事「(訳)近年は県内各地域の “しまくとぅば” が話者の高齢化等により消滅の危機に陥っている状況です。これまで以上に県民の “しまくとぅば” を聞く機会や話す機会の創出に向け、一緒に頑張っていきましょう」
「しまくとぅば普及推進室」には職員3人としまくとぅば普及センターのコーディネーター5人の合計8人がいて本島や離島など各地域のしまくとぅばを記録・保存するとともに普及・継承するための活動を続けています。
参考までに照屋副知事の激励の部分の文字起こしは以下の通りです。
ちかぐぅる・や、
うちなー・ぬ
すぃま・くぅとぅ・ば・ぬ
すぃま・ずぃま・ぬ、すぃま・くとぅばが〔=すぃま・ずぃま・ぬ、すぃま・くとぅば・ぬ〕
はなし・ないる・かたがたぬ〔=はなすぃ・ないん・ちゅ・ぬ〕
とぅし・とぅみ・そーち
くぅぬまま・しぇー
ちゃーり・てぃー
いかんが・やーち・いっぺー・しわ・そーリ(=そーてぃ)
うちなー・ん・ちゅ・ぬ、すぃま・くぅとぅ・ば
ちちゅる・ばしゅ
はなし・しゅる・ばしゅ
くぅり・までぃ・やかん
うふーく・なさる・ぐとぅ
まじゅん・し
ちばりぃ・ちびらー・やーさい
この激励文は、「近年は県内各地域の “しまくとぅば” が話者の高齢化等により消滅の危機に陥っている状況です。これまで以上に県民の “しまくとぅば” を聞く機会や話す機会の創出に向け、一緒に頑張っていきましょう」から、「ぼくのかんがえるさいきょうのしまくぅとば」に訳したもので間違いありません。
そのため、ところどころ方言としては不正確な部分があるのです。具体的に説明すると、文面で助詞「が」とか、複数形「かたがた」を使っている時点で、失笑してしまう代物ですが、おそらく(激励文を作成した)職員やコーディネーターたちも、普段から方言を使っていないのが原因かと思われます。
※参考までにブログ主の独断で訂正しています。
でも、これはしょうがないんです。方言が廃れた一番の理由は、近現代の激増する語彙に方言が対応できなかったからです。事実、明治維新後の日本において、明治政府が最も苦労したのは外来語の日本語化であり、近年では中国革命(1949)後に中国共産党がものすごい苦労をして、北京官話を創りましたが、その過程で地域の方言を容赦なく切り捨てていったのです。でないと、近現代の社会の変化するスピードについていけなくなるからです。
なので、沖縄の方言が消えるのも歴史的必然なのです。それを踏まえたうえで「日本のなかの異国感」を醸成するためだけに “しまくぅとば” を創出することにどれだけの意義があるのか、しかも、沖縄県庁主導の “しまくぅとば” を副知事がたどたどしくしゃべっている時点で、本気で普及させる気あるのかと極めて疑問に思わざるを得ません。
50年後にはおそらく「なかったこと」にされているのが容易に想像できます。
最後に、我が沖縄において、少数ではありますが、消えゆく方言をところどころ会話に挟んで自慢気にアピールする痛い輩が存在します。そうすることで「私はりうきう人」であることを証明したいのでしょうが、その手の人たちは一般の県民から
しまくぅとぅバカ
と本音で思われている件を強調して今回の記事を終えます。
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