前回の記事において、19世紀末に琉球王国が清国の外藩として半ば独立した場合、軍事と外交の負担に王国経済が耐えられず、やがて破綻してしまう可能性が高いことを言及しました。この記事に対しては「まるで北朝鮮じゃねぇか(笑)」という突っ込みがありましたが、それはさておき、今回は経済面について考察します。
ちなみに19世紀末の琉球国は、慶長以前の王国とは違って日本経済との結びつきが極めて強くなります。その理由は日本市場への黒糖(あるいはウコンなど)の供給販売で、結果として琉球は西日本の銀本位制の経済圏に属することになります。もしも琉球王国が日本の帰属を離れた場合は、政治的には清国の外藩で、経済的には日本に依存する実にややこしい状態になります。
琉球国にとって、経済面の最大の課題は「日本国との関税交渉」になります*。日本と政治的な関係が絶たれると、琉球から日本へ輸出される黒糖などの特産物には関税が課せられることになります。そうなると黒糖生産者である農民に対して関税が大きな負担になり、また日本国における黒糖販売の大きな障害になります。そのため琉球王府側は明治政府に対して従来通りの商取引(つまり経済関係は内国民待遇、しかも関税をかけないこと)の保証を交渉する必要があります。
*もうひとつの課題である通貨については今回言及しません。
だがしかし、こんな虫のいい話を明治政府が飲む訳ありません。日本から見れば琉球は外国なので、黒糖などの物産には(従来の慣習と違って)輸入品として取り扱いますが、そうなるとただでさえ悲惨な琉球王国の経済に思いっきりとどめを刺すことになります。別に無茶な関税をかける必要はありません、ちょっと関税を上乗せするだけで、大阪市場における黒糖相場は暴落します。実際に明治34年(1901)に試行された砂糖消費税法の影響で砂糖相場が暴落して、当時の沖縄県の糖業が大ピンチになったことがあるのです。
ハッキリ言って、19世紀末の琉球の国力では、日本や諸外国と独立国として対等の外交を行うことは不可能です。やはり軍事を独自で整備できないのが致命的で、そうなると王府側でも軍事と外交を清国に委託する動きが出てきます。なぜなら独自で軍事力を備えるよりも、清国に貢租を納めて軍事・外交を任せるほうが安上がりだからです。実際に外交を清国に委託した場合、琉球は独立国ではなく清の保護国として国際社会に認知されることになり、結局のところ慶長14年(1609)後の薩摩藩の附庸と何等変わりのない存在になってしまうのです。(続く)