二代目聞得大君の謎 – その1

今年に入って、ブログ主は運営ブログ内の記事を大整理していますが、思った以上に「未完の記事」があることに気が付きました。その中の一つに “古琉球の深淵 – おぎやかの謎(1)” と題した記事があり、連載当時は興味深いテーマだったので、史料集めなど気合を入れて作成したのですが、気が付いたら続編をアップすることなく、1年以上放置されていました。

そのため、続編記事を作成すべく、沖縄県立図書館に通って、尚宣威(しょう せんい)王の家譜など調べたところ、偶然にも聞得大君(チフィジン=きこえおおぎみ)の “謎” に気が付きましたので、先にその点について纏めてみました。

その前に聞得大君とは、王家の安泰を保証するために “呪術” を駆使する最高女神官と定義しておきます。そして呪術とは「(王家の守護のため)神を操る、あるいは操られる技術」のことを指します。ちなみに聞得大君は「おなり神信仰」によって、王の姉妹が就任するのが理想形であり、事実初代は尚眞王の同母妹である音智殿茂金(おとちとのもいかね)が就任しています。

そうなると、2代目の聞得大君は尚眞王の娘が就任するのが筋であり、実際に王の家譜をチェックすると、それに相応しい人物が一人いるのです。その人物とは佐司笠按司加那志(さすかさ あじがなし、以下号・慈山〔じざん〕で記す)であり、王の夫人であった「銘苅子(めかるし・天女の娘)」の子です。ちなみに尚眞王には夫人が2人いますが、『球陽』をチェックすると、銘苅子に言及した個所が2記事あり、これは『球陽』の性質を考えると珍しい記述です。

ちなみに、銘苅子の両親は父は平民、母が天女ですが、『球陽』にその存在が確認できるとなると、彼女は夫人のなかでも特別な存在だった可能性があります。もう一人の夫人である華后(かごう)が跡継ぎ(男子)を生むために存在したのに対し、もしかすると銘苅子は

おぎやか(御近)と天女の血を引くハイブリッド高級女神官

を誕生させる役割を担っていたのかもしれません。

事実、慈山は佐司笠という最高レベルの女神官名を授けられています。そして尚眞王の正妃である居仁(きょじん・尚宣威王の娘)の息子(思徳金〔うみとくがね〕、以下浦添朝満〔うらそえ ちょうまん〕で記す)が後継者から排斥され、華后の息子である真仁堯樽金(5男、王号尚清)が王位に就いたため、おなり神信仰に因ると、異母妹である慈山が聞得大君に就任するのが筋ですが、歴史の事実はそうなりませんでした。

参考までに慈山は尚宣威王の次男である見里王子朝易(みさとおうじ ちょうい)に嫁いで、後世から湧川殿内(わくがわ どぅんち)の “中興の祖” として崇められる存在になります。なので決して凡庸な人物であったとは思えませんが、そうなるとなおさら彼女が聞得大君に就任できなかった理由がわかりません。

しかも2代目に就任したのが、『女官御双紙』によると、峯間聞得大君とあり、

なんと彼女は尚眞王の長男、浦添朝満の長女なのです。

この時点でおなり神信仰による聞得大君システムはバグを生じたと言えるかもしれませんが、次回はその点も含めて、史料がほとんど残っていない峯間聞得大君について調子に乗って考察します(続く)。