前回記事において、文久元年(1861)以降の琉球王府の役人の腐敗堕落の一例を掲載しました。その記事に対する反響は予想以上に大きく、この事実から現代の歴史教育において幕末期の琉球王国の惨状はタブー視されていることが窺えます。歴史教育の場において琉球王国の闇の部分を教えないのは止むを得ませんが、現代の歴史家までが一種の被差別意識に囚われすぎて、自国の黒歴史を直視しないのは好ましい状況とは言えません。
ちなみに、当時の王府の役人の腐敗エピソードは続きがあるのですが、さすがにこれ以上紹介するのは胸くそ悪くなりますので、今回は琉球藩と北朝鮮社会との違いを説明します。
一番の違いは、権力者の支配を絶対化するイデオロギーの有無です。以前に記事にしましたが、琉球王国においては、遂に尚家の支配を正当化する基本思想が誕生しませんでした。それゆえに琉球・沖縄の歴史は北朝鮮と違って
・権力闘争はあっても、政治犯という発想がない。
・政治犯の概念がないため、わざわざ強制収容所を作る必要がない。
・内面の良心の自由を含む、支配地域個人のすべてを監視するという発想もない。
の3点を挙げることができます。昭和47年(1972)の本土復帰後に一部の革新系知識人が北朝鮮の金日成主席にあこがれた理由の一つは、支配者を絶対化する思想のもとに国家を統率するシステムに感銘を受けたからです。残念ながら、彼らの願望は北朝鮮自身が主体思想を事実上放棄することで、永遠に叶うことができなくなります。
実は琉球藩の時代も北朝鮮も大変な管理社会ですが、琉球藩の場合は支配者を絶対化する思想がなかったため、地方における風俗取締は原則として間切や村で行っていました。それゆえに琉球王府側は、村内の慣習にはほとんどノータッチで、風俗面に関する自由度は琉球社会のほうが北朝鮮より遥かに上だったのです。(一例を挙げると結婚(ニービチ)にお金がかかり過ぎる、浪費するなとの王府からのお達しがあっても実際には遵守されませんでした。毛遊び(モーアシビー)の禁止も結局は守られませんでした)
他の相違点は、北朝鮮の場合は同じ民族である韓国人から完全に見捨てられている状態ですが、琉球藩の場合は、おせっかい焼きの日本人が「同じ民族だから」ということで引き取ってくれたことです。時代背景も国家の規模も違うために単純比較は出来ませんが、現代の韓国人は北朝鮮のことを露骨なまでの不良債権扱いで、「引取りお断り」の態度を鮮明にしています。琉球藩もハイレベルの不良債権ですが、それを承知の上で引き取って、なおかつ経営しようと試みた日本人は、ブログ主には底抜けのお人よし、かつおせっかい焼きの民族としか思えません。(続く)