今回も、ひろゆき氏の一連のツイート騒動にヒントを得て、普天間基地の辺野古移設問題がなぜ泥沼化したのか、ブログ主なりに説明します。
この度の騒動に関して、ひろゆき氏のツイートに対する “辺野古新基地反対運動” の活動家や支持者、あるいは一部のマスコミがなぜあそこまで意固地になるのか、理解できない人が多いかと思われます。当事者である沖縄県民ですら意味不明な言動がSNS上で飛び交う有様ですが、この問題の根底にある “負の感情” を解き明かせば、ある程度の共感を得られるかと思われます。
つまり、辺野古の問題は理屈ではなく、どうしても “感情” が先走ってしまうのです。
参考までに平成19年(2007)年ぐらいまで、普天間基地の移設に関して、紆余曲折はありましたが、現在のように感情的になって反発する人はあまり見受けられませんでした。「県外移設」にこだわると、結果的に “普天間基地の固定化” になることを県民が理解していたからです。つまり、県外移設というプランは現実味がないというのが県民の多数意見だった訳です。
ところが、その流れが変わったのが平成20年(2008)7月8日に民主党(当時)が公表した「民主党・沖縄ビジョン(2008)」です。その一部を抜粋すると、
3)普天間米軍基地返還アクション・プログラムの策定
普天間基地の辺野古移設は、環境影響評価が始まったものの、こう着状態にある。米軍再編を契機として、普天間基地の移転についても、県外移転の道を引き続き模索すべきである。言うまでもなく、戦略環境の変化も踏まえて、国外移転を目指す(以下略)
民主党・沖縄ビジョン(2008) Ⅲ. 4分野における具体策より抜粋
とあり、民主党が公式に県外移設に加えて国外移設について言及したのです。当時は飛ぶ鳥を落とす勢いの野党第一党が “公言” したことで、辺野古への移設反対派が色めき立ち、そして翌21年(2009)年8月30日の衆議院選挙で民主党が大勝、政権を奪取したことで「県外移設」が現実味を帯びるようになります。
その流れで翌22年(2010)1月24日、名護市長選挙で普天間基地の県外移設と国外移設を掲げた稲嶺進氏が当選します。ちなみに、この市長選で政権与党の民主党は稲嶺進氏を支援します。なお、稲嶺氏は普天間基地の辺野古移設に真っ向から反対した初の市長となるわけですが、翌日の記者会見で平野博文官房長官が壮絶にやらかしてしまいます。(鈴木宗男氏の質問主意書から再度引用します)
沖縄県名護市長選挙の結果を受けた内閣官房長官の発言に関する質問主意書
本年一月二十四日、沖縄県名護市長選挙が行われ、米軍の普天間飛行場を同市の辺野古沖に移設するとする現行の日米合意に反対する稲嶺進氏が当選を果たした。右を踏まえ、質問する。
一 今回の名護市長選挙において、民主党、社民党、国民新党の連立与党は稲嶺氏を推薦していたと承知する。今回の選挙結果につき、鳩山由紀夫内閣はどの様な見解を有しているか。
二 平野博文内閣官房長官は本年一月二十五日の記者会見において、稲嶺氏が当選したことが普天間飛行場の移設問題にどの様な影響を与えるかとの問いに対し、「一つの民意としてはあるだろうが、検討していく上においては、あまりそのことも斟酌してやらなければいけないという理由はないと思っている。」と述べたと承知する。先の名護市長選挙の結果は、紛れもなく普天間飛行場移設問題に最前線で相対している地元住民の民意の表れであると考えるが、平野長官として、それを斟酌しなくてはいけない理由はないと考えるのはなぜか。(下略)
なお、この発言を受けて県議会が激怒、翌月24日に
“普天間飛行場の国外・県外を求める意見書” を全会一致で可決します。
その後の経緯は、
平成22年4月25日 普天間基地の国外・県外移設を求める県民大会の開催(主催者発表で9万人が参加)。この県民大会には仲井眞知事も参加。
平成22年5月04日 鳩山首相が来沖、普天間基地の県内移設を表明(ネットでの拾い画像をアップします)
平成22年5月28日 日米両政府が普天間の移設先を県内とする共同声明を発表。
となり、鳩山政権の崩壊(6月2日)、そして11月28日の県知事選挙で現職の仲井眞候補が普天間基地の「県外移設」を掲げて当選という怒涛の展開で、 “県外移設派” がたった2年で圧倒的に優位に立ちます。
※余談ですが、当時民主党の代議士だった玉城デニー氏は政府の決定(県内移設)を「英断」と評します。
ここまで説明すればご理解いただけるかと思われますが、民主党政権の壮絶なやらかしが、沖縄県民に対し
やまとぅ(本土の人)は裏切る
という負の感情を植え付けることになったのです。これが辺野古新基地反対運動に携わる活動家が抱える “負の感情” の正体です。
しかも平成25年(2013)年11月25日の自民党本部での記者会見の結果、 “ジミンガー” と “沖縄差別ガー” がプラスされ、負の感情はエスカレートしてしまい、手が付けられなくなります。そして翌年の知事選挙と衆議院選挙でオール沖縄会議が “旋風” を巻き起こしたのは記憶に新しいかと思われます。
参照リンク 普天間移設で自民5氏、辺野古容認、県連も転換へ
今回ブログ主が言及した内容は、是非は置いといて、沖縄にはこのような現実があることと、それを踏まえて沖縄の問題には言及してほしいと切望しつつ、記事をまとめた次第であります。