沖縄にはいったいどれくらいの麻薬密輸組織があるのだろうか – 。次々と摘発される麻薬グループに県民はだれしもそう思っているにちがいない。麻薬関係で検察庁に送り込まれる違反者は一日平均一人の割合。ことしに入ってから県警で逮捕した数だけでもすでに八月現在三百五十人を数え、七二年度の二百九件を軽く上回った。
“亡国のクスリ” はすでに金網を乗り越え民間地域へ。そして県民の各家庭へいつ忍びよるかわからないところまできた。県でもその現状を重視、この秋から麻薬撲滅運動を県民総ぐるみで展開するという。米軍基地をかかえる沖縄。この基地を中継して、はびこる麻薬をほんとに断ち切れるのか。
まるで根強いガジマルのよう 麻薬密輸のシンジケートの全容が明らかになる例はきわめてまれで、とらえどころのない場合が多いのが普通だ。ある麻薬捜査官は「まるで根強いガジマルのようなものだよ」としごく残念そうに話す。一本一本お互いにからみあって、くっついているのははっきりしていても、それがいったいどうなっているのか、さっぱりわからない。例えば「組織でもキーポイントを操る中心人物と思う男を捕えてみると、ただの歯車の歯にすぎなかった、というハメになることはよくある」ことだ。しかし、この意味は二つある。ひとつには、捜査員の中心人物の見込み違いがそれ。もうひとつには “ピッチャー交代” だ。捕まった男は、ねらい通り中心人物ではあったが、逮捕のとたん、別の男が組織の中から浮びあがってその男の代わりを果たす – というわけだ。その時から捕まった男は、組織の一員にすぎなくなってしまう。
去る〔昭和四八年〕六月に元米陸軍特殊部隊員でVFWクラブ支配人ティモシー・G・ケパート(二九)をボスとする密輸グループが摘発された時、麻薬(ヘロイン)二㌔が押収された。末端価格にして十八億円というかつてない最大のものだった。この時、麻薬関係者は「これで沖縄に出回っている麻薬の六、七割は押収したも同然」と喜んだものだった。無理のない話で二㌔という量は、本土でも例をみない規模だった。
「組織」やっと捜査陣の前に姿を現す しかし、八月、九月になってもヘロインの値段はに変動はなかった。一㌘十五万円は安定したままだった。「おかしい」と捜査員だれもが思った。これだけのヘロインを押収したらとたんにヘロインの品不足をきたし末端価格はハネあがるだろう – というわけだ。予想は裏切られた。とすると、別の密輸組織がその代わりを果たしていることになる。捜査陣は、あらためてシンジケートの生命の根強さを感じとったものだった。
やはり別の組織が浮かびあがった。“沖縄マフィア” と呼ばれる組織が捜査陣の前に姿を現してきた。コザセンター通りのクラブ「ワールド」を根拠地にしてジャック・ブラウン(二六)をボス格とする、タイを結ぶ国際密輸組織だ。組織は、各ポイントを操る者三十六人 – 四十二人。総勢百数十人と推定されている。
国際的大がかりな沖縄マフィア 沖縄マフィアは、大きく分けてタイでの組織、米民間人組織、ブラウンの配下の組織に区別されている。ブラウン組織は、さらに普天間グループ、那覇グループ、コザグループなど六グループに支えられている。六グループの各トップクラスは、ブラウンからヘロインを買い、さらに各自のグループの末端に売りさばく、ピラミッド型の構図だが、六グループとも、恐らく知らない同士だといわれている。
これらの組織に加えLSD・大麻組織のボス・スタンダール・ベル(二六)ら構成員を見たある刑事は「どれもこれも仲間に親しまれ、頭の良い点が一致している」という。ケバート一味の軍医コーセーは、純度一七%以下に落としていた。これ以上高めると効果が強く人体に与える影響が大だ、といったという。ベルが事故で足を折った時、数人の兵士がそばについて離れなかった。そして、米軍が行った知能テストでは、残らず高い数字を記録している。これらが密輸組織を支える重要人物の特徴である。
こうした人物をえりすぐった組織がまた形成される – これは当然の予想である。組織の歯車がはずれるとすぐ交代要員を送り込み、組織の最重要人物が逮捕されると別の組織がそれにとってかわる。結局はアリのように群がる麻薬常用者がいる限り、ピラミッドはがんとして消えず、次々と首領の首がすげかえられているにすぎない。(昭和48年09月19日付琉球新報夕刊03面)
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