今回も沖縄県知事選にインスピレーションを得て、政治における “加点主義” と “減点主義” についてブログ主なりに考察します。その前に定義を下しておくと “加点主義” は成果に応じて点数を積み重ねて判断する評価方法で “減点主義” は基準点を設置して、そこからミスに応じて減点して評価する方法になります。
ちなみに歴史書における権力者への評価方法は総じて “加点主義” です。一例を挙げると我が沖縄の通史における尚眞王の評価がまさに加点主義で記述されています。政治は “結果責任” であり、その過程は問わないが古代から近世にかけての常識ですから、過去の為政者について加点主義で判断するのも妥当かと思われます。
ただし現代では “結果を出すまでの過程” も厳しく問われます。特に近代デモクラシーは形式性を重視しますので、違法あるいは脱法的な手段で成果を上げるのはNGです。とはいえ、政治は “結果責任” であるという大原則には変わりはありません。なので、現代においても政治家の評価は加点主義で行なうのが最適と言えます。
政治における加点主義の長所は、たとえミスをしても、それ以上の成果を上げて、最終的にプラス値を出せばいいとの発想で政治を行なえる点です。欠点は成果を上げるためにあらゆる手段を用いるケースが散見されることです。だから政治家の暴走を監視のために第四の権力としてマスコミが存在している訳です。
ちなみにマスコミは “権力の監視” の名目で政局を “減点主義” で評価します。そうしないと政策遂行における “形式性” や “適法性” が判断できないからです。だがしかし、減点方式はあくまで “過程” を判断するためのツールであって、政治家本人を評価するには不適切と言わざるをえません。
減点主義の長所は “ミスを防ぐために手堅く仕事を進める” ことに尽きますが、欠点が “ミスを恐れるあまり前例重視の慣行が固定化” が生じてしまうことと、一番最悪なのが “ミスをミスではないと言いつくろう慣行が常態化してしまう” 点です。
おっと、沖縄県政の悪口はそこまでだ!
と突っ込みたい気分になる読者もいらっしゃるかと思われますが、ブログ主が声を大にして言いたいのは、政治家の評価は “加点主義” で行なってほしい、ただ一点です。
たとえば、ネット上を賑わせた佐喜眞淳候補と旧統一教会系団体との関わりですが、減点主義で判断すると「旧統一教会系のような団体と付き合う政治家は信用できないし、そんな輩が県政を掌握するとまともな政治を行なう訳がない」になります。これが加点主義で判断すると「旧統一教会系との付き合いは確かにマイナスだが、今後は気を付けると言ってるし、県知事になったら成果を出して上書きすればいい」になります。つまり減点主義は一つの失敗で政治家にマイナスの烙印を押してしまう傾向が著しいので、適切に政治家を評価する判断方法にはなりえないのです。
対する現職の玉城デニー候補の場合、彼は減点主義では判断できません。それはつまり
これ以上減点する箇所がないから
です。つまり彼は否応なしに加点主義で判断せざるを得ない稀有な政治家なのです(だがしかし、加点できるとは言ってない)。
最後に、おもろまちの候補者にも言及しますが、彼は
減点を極めた真の漢
ですから、政治史の例外として加点主義、減点主義を超えた第三の視点で評価するのが最適かと思われます。ただし、ブログ主の実力では第三の評価基準を作成することができないのが痛恨の極みと言わざるをえません(終わり)。