昭和の時代と違い、現在では表向きではあまり使われなくなりましたが、我が沖縄には “腐れナイチャー” という他府県人に対する蔑称があります。沖縄県民の本土に対するコンプレックスの一種とも言えますが、実はそれだけではなく、一定の基準を満たした他府県出身者が現地民から “腐れナイチャー” として取り扱い注意のレッテルを貼られてしまうのです。
結論を先に言うと “上から目線” で沖縄県民に対して接する輩のことなんですが、今回はブログ主なりに腐れナイチャーの本性とその対応策について言及します。読者のみなさん、是非ご参照ください。
理解の補助として、論語の一節を紹介します。
子夏曰わく、君子、信ぜられて而して後にその民を労す。未だ信ぜられざれば則ち以て己を厲ましむと為す。信ぜられて而して後に諫む。未だ信ぜられざれば則ち以て己を謗ると為す。(子張十)
引用:金谷治訳註『論語』(岩波文庫) 382㌻
有名な一節なので説明は不要かもしれませんが、現代風に意訳すると、「リーダーは部下に信頼されて初めて仕事をまかせよう。さもないと部下は自分たちを苦しめるために仕事をいいつけたと思い込んでしまう。部下はリーダーに信頼されて初めて助言しよう。さもないとリーダーは自分の悪口を言ってると勘違いするもんだ」になりましょうか。
この一節のポイントは “信(=信頼)” ですが、それは “他人の話をちゃんと聞いてあげて、なおかつ他者の立場を理解した上でのコミュニケーションがとれる” 人物のことで間違いありません。何を当たり前のことを…と思わるかもしれませんが、現代ではその当たり前のことができない輩が Twitter 上に大量繁殖しているではありませんか。
いまもむかしも人間関係にとって厄介なのは「他人の話は聞かず」「相手の立場を理解できず」「ひたすら己の主張を唱える」輩です。その反対に論語を読むと、孔子は他者を理解した上でのアドバイスに終始していることがわかります。
だがしかし、ひとりよがりの言動に終始するだけならまだマシなんですが、世の中には下には下がいます。
子夏曰わく、小人の過つや、必ず文る。(子張六)
引用:金谷治訳註『論語』(岩波文庫) 380㌻
この一節も説明不要ですが、意訳すると「つまらない人間ほどミスをしたら粉飾に終始する」になりましょうか。
ここまでくればお分かりかと思われますが、我が沖縄において、現地の慣習を理解しようともせず、他人の話は聞く耳ももたずに、上から目線の言動に終始したあげく、自身のミスに対してはひたすら粉飾するタイプの他府県人が
現地民から腐れナイチャーのレッテルを貼られます。
参考までに腐れナイチャーは十中八九社会からフェードアウトされます。それもそのはず、この手のどうしようもない人間は他府県人からも敬遠されてしまうからです。つまり “気がついたらまわりには誰もいない” というのが彼らの末路なのです。
だから我が沖縄県民は腐れナイチャーの戯言などは聞き流せばいいのです。たとえばアドバイスを受けたときは神妙な面持ちで「貴重なご意見として承ります」とでも言っておけばOKです。ちなみに我が沖縄には(腐れナイチャーに限らず)この手のどうしようもない人物に対しては “敬して遠ざける” という必殺技があります。そう、
おばーは頭悪いから何言ってるのかわからないさー
で華麗にスルーすれば、彼らはそのうち自滅するので、その日が来るまで生暖かく見守るのがベストだとブログ主は断言して今回の記事を終えます。