コザ市八重島区在バー・フエックス(経営者比屋根セツ子)の女給柳原ナルエ(23)が、同市中之町区の民家の便所に入って首吊自殺をとげた記事は、3日の各紙に僅か数行で片附けられていた。切った、ハッタで殺されてもて、車にしかれてもせいぜい2~3段、まして自ら命をちじめた人のことなんかは数行を費やすのが勿体ないのかもしれない〔。〕
そのように新聞をしむけたのは殺バツな世相である。柳原ナルエという女給の歩んだ道…それは数奇な運命とはいえ、何千という沖縄の女給たちに何か考えさせるものがあるに違いない。以下は新聞に出なかった裏話であるが、これはまた基地コザの街のエレジーの1つでもある。
ウラマチは地獄だ / 死を選んだどん底の女
名瀬の料亭で女中をしていた彼女(ナルエ)が照屋付近で闇の女を囲っていた某に連れさられて沖縄に渡って来たのは51年、17の時だった。当時はバーやキャバレーは少く、照屋付近の外人相手は専ら “立ちんぼ” の即ち街娼だった。何と言いくるめられて沖縄に渡って来たかは知る由もないが、日経たずして彼女の姿も黄昏時の “立ちんぼ” の中にみられるようになった。背丈は五尺三寸おあろうか〔、〕色が抜けるように白く、肌はモチ肌…どぎつい化粧もせず、ルージュをぬっているとはいえ顔にまだ少女らしいあどけなさを残した彼女が好色外人の眼を惹かぬはずはない、瞬く間に彼女は白、黒、比島人から引張りダコにされ、一躍暗闇の女王的存在となった。収入と共に彼女の生活もハデになり、身につけるアクセサリーが人目をひくようになったのはもちろんである。
だがこの “立ちんぼ” も長くは続かなかった。当局の取締りが厳しくなったからである。結局、他の “立ちんぼ” と同様にボツボツ出現したバーやキャバレーで、公然と外人相手をする以外になかった。
〇…バーやキャバレーも最初はもうかったが、青A、赤Aのサインが必要となってからは、彼女たちの収入はグンと減った。バーやキャバレーは客をひっぱり込む場所でなく、サービスをする場所に変ったからだ。今までのように時間中に客をひっぱることは御法度となった。
客をとろうと思えば他に適当な部屋を借り、高価な調度品を揃えなければならなかった、それもお店がハネてからである。
女給たちが青A、赤Aサイン以前に比べ、しみったれになって行くのが目に見えて来た。
だが彼女は違っていた。他の女給たちがしみったれになればなる程彼女はジャンジャン金を使った。もちろん借りた金である〔。〕一晩でビールを5本も10本も飲むようになり時には客にもおごった。酔が廻るとスカートをまくってホール狭しと1人で踊りまくった。憎めない女だったとかつて彼女を使った一雇用主は語っている。だが彼女はこういった生活をしながらも月2000円づつ模合をかけて万一に備えていた。その頃ひょっくり彼女の前に現れたのがMである。Mは妻子もある男だった。だが彼女は持前の気性で強引にMを口説落し、きょうはこっちのホテル明日はあっちとMを連れて遊び回った。模合の金を使い果たすころMは胸を悪くしていた。Mを金武保養院に見送った彼女は時々思い出しては “ほんとにMが好きだった、一寸の間だけどほんとに楽しかった” と口にしながら彼女は、だんだん元のルーズな生活にもどっていった。
〇…彼女が5万円の前借りをして裏町に行ったのはそれから間もないころだった。だが、暫くすると彼女は “裏町は地獄だ、裏町は行く所じゃない” と友のY子にもらし、センターで新たな雇主を探し始めた。だが彼女の無軌道な生活を知っているバーやキャバレーの経営主は彼女を敬遠した。“誰か私を雇って頂戴、5万円の借金なんかすぐ返すから……” と、彼女は気狂のようになって飛び回ったが、結局は骨折損のくたびれ儲けに終わった。
〇…総てが駄目だと知った日、彼女は火葬場の見学に行った。朝早く行って、夕方 “おんぼう(隠亡)” に追返されるまで、彼女はまんじりともせず火葬場をみつめていた。薄暗くなって火葬場から帰った彼女は、センターの友達の所に立寄り “火葬場って素敵ネ、とてもき麗だワ” と語りながら、暫くの間はしゃいでいた。がそれから1週間目に彼女は首を吊って死んだ。
〇…彼女の死を知ったバ・フェックのマダムはびっくりした。その言辞から推して死んだことよりも5万円の借金がとれなくなったことに驚いたものらしい、マダムは500円持って来て奄美会で葬式を出してくれと言った。マダムと一緒に来た八重島区の区長は “葬式も出せないような奄美会はつぶして、奄美人は全部沖縄から追払ってやる” と暴言を吐いた、奄美会の面々が、“せめて一晩、一緒にいた女給たちにお通夜をさせて下さい。死人に罪はないから……” とお願いしたが “うちのコはみんなオールナイトがついてるから……” と素気なく断られたという。彼女に5万の借金があるから死んだことによって総て棒引きにすると口にしていたそうナ。葬式は奄美会の手でしめやかに行われた。それにしても雇主の態度は……。照屋区で大島の女の子が死んだ時、その娘の入院費用から葬儀一切を引受けた或経営主は、その娘に10万位の金を借した上に入院費5万円を使ったが、死人に罪はないとねんごろに遺骨を大島の親元に送り返してくれたという。それとくらべると柳原ナルエの場合は…やはり不運だったのかも知れない。彼女が残した “裏町は地獄だ、裏町は行く所でない……” という言葉は何か謎をふくんでいるようだ。
愛人のMは台風で保養院がつぶれて、仕方なく家に帰った矢先このナルエの死を知らされたが、薄情なマダムに使われたドン底の女の末路は哀れだった。(市)(昭和32年10月5日付琉球新報夕刊3面)